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成功する人は、教わり方が違う

8/3(木) 10:45配信

ITmedia ビジネスオンライン

※この記事は「経営者JP」の企画協力を受けております。

●一流は、弟子になる。二流は、お客さまになる

 教える、教えられる関係は、会社では上司と部下、スポーツではコーチと選手、習い事では先生と生徒など、いろいろなところにあります。

 そのパターンをまとめると、

(1)師匠と弟子

(2)サービスマンとお客さま

の2通りしかありません。

 習い事で多いのは、生徒をお客さまにしてしまうことです。生徒をほめて、また来てもらうことが、サービスマンの目的です。生徒側としては、自身の成長よりも満足を得るようになります。あたかも商品を買うかのごとく習い事をしに行く関係が、教える場では起こりがちです。

 教える側は、本当は師匠と弟子の関係でいたいのです。お客さまにしてしまうと、厳しいことが言えなくなります。とはいえ、厳しいことを言えば、生徒が来なくなります。ビジネスで考えれば、背に腹は代えられず、お客さま扱いするのです。

 ここで教えられる側の成長は止まります。

 上司と部下の関係でも、「なんでもっとほめてくれないんだ。私はほめられて伸びるタイプなのに」と言う部下が多いのです。

 習い事なら、もっとほめてくれるところに行きます。会社の場合は、隣の部署の上司はほめてくれて、直近の上司はほめてくれないことがあります。ここで隣の部署に行きたいと思う人は、結局、自分の成長よりも他者承認を求めているのです。

 こういうことが今、世の中にまん延しています。

 本来、教える、教えられる関係は教育産業であるのに、サービス業に変わってきているのです。自分が教えられる側になる時は、お客さまではなく、弟子になる覚悟が必要です。そうすれば、「なんでもっとほめてくれないんだ」「先生の都合に振りまわされる」「上司が自分の主張を押しつけてくる」という文句がなくなります。

 成長もできるし、ストレスもなくなるのです。

●一流は、自分のことを聞く。二流は、ほかの人の話を質問する

 プロから厳しいことを言われるのは、教わる側としてはつらいことです。そのつらさから逃避しようとして、「あの人のあれはいいんですか」「これができない人がたくさんいますが、どうしたらいいんでしょうか」という聞き方をしがちです。

 ほかの人のことを挙げて、自分のことから話をそらそうとするのです。これをすると、その場のつらさは回避できますが、自分の成長にはつながりません。

 一流の人は、どこまで行っても、「私はどうすればいいのか」「私のどこがいけないのか」「私は何を改善したらいいか」と、「私」について聞いてきます。つらくても自分のことから逃げないのです。

 質問をする時は、自分のことについて聞くことです。ほかの人が気になり始めるのは、自分のことから逃げようとしているのです。

●一流は、プロのすごさが分かる。二流は、プロと張り合おうとする

 人間には、

(1)プロ

(2)プロのすごみが分かる人

(3)プロのすごみが分からない人

の3種類がいます。

 いきなりプロにならなくてもいいのです。スタートは、プロのすごさは分かりません。まずはプロのすごみが分かる人を目指します。プロのすごさが分かれば、素直に教わることができます。

 半人前の人は、つい「自分はプロとそれほど違わない」と思いがちです。そうなると、「ホントかね」とか「これでいいんだろうか」とか、プロの話を素直に聞こうという気持ちがなくなります。1歩間違うと、教えてくれるプロと張り合おうとしてしまいます。

 半人前とプロとの距離感は、上から下は分かりますが、下から上は分からないのです。

 習い事を始める人は、「すぐ先生のようになれる」というのが初期動機です。とはいえ、しばらく習っていると、「これは遠いぞ」と分かってきます。ここでワンステップ上がったのです。

 教わることの一番大きな意味は、プロのすごさを尊敬できるようになることです。教われないことの危険は、プロをなめてかかり、仕事をなめてかかり、生きることをなめてかかることです。

 「資格を取ったのに食べていけない。どこでも就職できると思っていたのに仕事の依頼が来ない」と言う人がいますが、たかだか3カ月ぐらいで取った資格です。そんなもので一生食べていけるわけがありません。

 「その資格で食べている人がいる」という反論が出ますが、その人は10年も20年もかけて、その道の修業をしている人です。食べていくことに対して、なめてかからないことです。

●一流は、教わっていると感じる。二流は、叱られていると感じる

 教えている側は、まったく同じことを言っています。教わっている側が、どう感じるかです。明らかに優しく教えているのに、二流は素直に受けとめることができません。

 「叱られている」→「嫌われている」→「いじめられている」→「パワハラされている」と、話がどんどん変わっていきます。

 「私、いつも叱られているんです」と言う人に「こうしたらいいよ」とアドバイスすると、「また叱られました」と言われます。教える人は、「怒りっぽい人」という印象にならないように、頑張って優しく教えています。それを「叱られている」と取られたら、教えるほうのモチベーションがなくなるのです。

 教えるには大変なエネルギーが必要です。「教えたくてしようがない」という人は、いません。いたとしたら、その人は二流です。一流は、自分の修業で一生懸命頑張っています。教えることが本業ではなく、「聞かれたから教える」という形です。

 「あの人は教えたいから教えている」と解釈するのは、人の好意に対して感謝の気持ちがなさ過ぎます。厳しくされればされるほど、「いいことを教えていただいた」と喜べる人が一流なのです。

(中谷彰宏)

(ITmedia エグゼクティブ)