ここから本文です

絵本の世界「ワーママ」いない? 多彩な家族、描けぬ壁

8/3(木) 19:17配信

朝日新聞デジタル

 2歳の娘の父親である記者(35)は、妻からこんなことを言われて気になっています。「共働きの家庭が登場する日本の絵本って、少なくない?」

【写真】絵本の世界「ワーママ」いない?

■目立つ「エプロン姿」

 会社員である妻がそう感じたのは、人気絵本「よるくま」(酒井駒子作、1999年、偕成社)を読んだとき。母グマとはぐれて泣く子グマが登場する。実は母グマは夜空で釣りをする仕事に励んでいたのだ。

 この展開を読んで「そう言えば、人間の家族を描いた絵本で、母親が外で働く姿を見たことがない」と気づいたという。他の本では、お母さんはエプロン姿で家事、お父さんはスーツ姿で仕事へ。そんな両親の描かれ方が多いことに「違和感があった」のだと。

 いまや共働き世帯数が専業主婦世帯数を逆転して20年がたち、その差は倍近くまで広がった。世の中、共働きの方が多いのだが――。

 試しに自宅の絵本の中で一番のお気に入り、「りんごかもしれない」(ヨシタケシンスケ作、ブロンズ新社)をめくった。2013年に出版され数々の絵本賞を受賞した人気絵本だ。

 女性と男性の描かれ方に注目してみる。主人公のお母さんがエプロン姿で家事をして、スーパーで買い物。お父さんはスーツ姿で酔っ払って帰ってくる。街角のイラストでは、仕事中の人は男性が多いようだ。女性は買い物袋を下げたり、子どもを連れていたり。

 作品はもちろん面白いままだが、確かに……。

 では、共働き世帯が登場する絵本は無いのだろうか。

 子どもの本専門店「クレヨンハウス」(東京)を訪ねると、絵本売り場の担当者が、「ぼくのママはうんてんし」(2012年、福音館書店)を教えてくれた。

 お母さんはJRの運転士で夜勤もこなす。お父さんは看護師。急に仕事の予定が入ってしまい、保育園に通う2人の子どものお迎えが……といった共働き家族の「あるある」も満載だ。

 なんだ、あるじゃない。

■出版まで「厚い壁」

 ところが、著者の大友康夫さん(71)は「出版するまで大変でした。長い時間がかかったのです」と振り返る。

 大友さんの自宅にうかがうと一枚の写真を見せてくれた。「この写真の私、すごい笑顔でしょ。無理して笑ったんですよ」

 37年前、当時2歳の息子を背負う大友さんの姿だ。妻が病気がちで、絵本の打ち合わせに息子を連れて行った。「逃げた女房に~、みたいでカッコ悪いですね」「なんだか美談の中の人みたいね」。同席者から言われた言葉が、今も耳に残っているという。

 大友さんは「だって今、誰も面倒を見る人がいないから」と言いながら、笑顔でその場を取り繕った。「その時の、記念すべき一枚の写真です」

 大友さんは「『イクメン』の姿が、一世代前には児童書関係者の間でさえ揶揄(やゆ)の対象だったわけです。今の家族のリアルな姿を描きたいと、ずっと思ってきました」。

 ところが、絵本で共働き世帯を描こうとすると壁があるという。

 「絵本も当然、売り上げが見込めないと出版できません。登場人物の家庭環境に深く踏み込むと、それに当てはまらない読者を遠ざけてしまう可能性がある。そういう配慮がおとなの文学と違うところです」

 作中の子どもが通うのが幼稚園か保育園か、あえてあいまいに描く。例えばそんな作品もあるという。

 「両親の描写も、共働きとまで踏み込んで描くのは、実は難しい。『ぼくのママはうんてんし』は、定年間近の女性編集者が『この本は絶対に出しましょう』と強烈に推し進めてくれて、何とか実現しました」

 主人公の子どもをとりまく家庭を描くとき、現実には多数派の「共働き世帯」を描くのか。それとも、多くの読者をふわっと包み込むため、あえて家庭環境には踏み込まないのか。大友さんは「絵本作家にとって、ジレンマですね」と話す。

 いまはシングルマザーと子どもが主人公の絵本を作り始めているが「設定だけ先行しても、よい絵本は作れません。例えば保育園や幼稚園を取材する中で、まずは浮かび上がるストーリーがあるか。作家の視点が問われます」。

■欧米は多彩な姿

 絵本をめぐる日本の出版事情を、専門家はどう見ているのか?

 国内外の絵本をデータベース化し、分析している佐々木宏子・鳴門教育大学名誉教授は「家族のあり方は多彩になっているのに、日本の絵本は追いついていない」と話す。

 「日本では、あまり見当たらないタイプ」の一例として紹介してくれたのが、米国の「ママがおうちにかえってくる!」(2004年、講談社)。

 ペット店で働く母親が仕事を終え、混み合う地下鉄に乗り、風雨のなか家路を急ぐ。その間、エプロン姿の父親はピザを作り、赤ちゃんにミルクをあげ、子どもと一緒に母親の帰宅を喜ぶ。その一部始終が明るい色彩で、当たり前の日常として描かれる。

 佐々木さんは「母親の不在を無難にやり過ごすのではなく、父子だけの貴重な時間ととらえ好奇心いっぱいに楽しもうとするんですね」。

 ほかにも欧米では共働きだけでなく両親の離婚、シングルマザーなど様々な家族を描いた作品が出版されている。

 家族がどんな形になっても、子どもが個人として自立できる――。そんな育ちを目指す文化が、多様な家族が絵本に登場する背景にあるというのが、佐々木さんが30年かけて比較分析した結論だ。

■日本の変化期待

 また、夫や妻も自立した存在ととらえるからこそ、離婚後の家族のあり方といったテーマを描くことへの心理的な壁が低い。一方、「日本では夫と妻の個人としての輪郭をはっきりさせたうえで、夫婦関係を深く描いた絵本は少ない。物語の展開が狭まる要因になっている」という。

 とはいえ、今後は日本でも多彩な家族を描く作品が増えると期待する。

 「男女の役割が固定された家族像ばかりを登場させることは、そこから外れる家族像を排除しかねない。そんな意識が広がってきています。例えば一人の大人が決断してシングルマザー、ファーザーになったとき、社会が異端視せず、どれだけ温かい視線を向けていけるか。それは絵本の世界にも、現れてくるはずです」(信原一貴)

朝日新聞社