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伝統の価値をテクノロジーで未来に紡ぐ--猪子寿之× 小橋賢児ライブエンタメ対談

8/4(金) 12:01配信

SENSORS

「ライブエンターテインメント」をテーマに行われたSENSORSサロン。ゲストにチームラボ代表の猪子寿之氏とULTRA JAPANやSTAR ISLANDのプロデューサーを務める小橋賢児氏を迎え、MCの落合陽一×齋藤精一がライブエンターテインメントの現在と展望をディスカッションした。

4回にわたってお届けする第2弾記事では、小橋氏が「ULTRA JAPAN」や「STAR ISLAND」をどのような想いで手がけてきたのかを聞いていく。小橋氏はなぜ俳優からイベントプロデューサーへ転身したのか。若者が世界や伝統につながる“きっかけ“を作りたいという、小橋氏の発想法に迫る。

■若者が変わる「きっかけ」になるイベントを

--小橋さんの活動について、お教えいただけますか?

小橋賢児(以下、小橋):僕は8歳の時から俳優をやっていましたが、27歳のときに休業しました。 芸能界でドラマや映画にも多く出させていただくなかで、20代半ばにそれなりのポジションが見えてきて、ふと自分の30代を考えたとき、「このまま30代になっていいのか」「これが本当の俺なのか」と怖くなりました。

自分に嘘をつきながら生きていくのは嫌だと思い、27歳のときに休業してアメリカへ語学留学しにいきました。その中で春休みをつかって外国人の友達と車でアメリカを横断しました。

そのゴール地点だったマイアミで偶然路上で会った知人のDJが教えてくれたのが「ULTRA MUSIC FESTIVAL」でした。同世代、もしくは自分よりも若い若者が、青空の下で最先端の音楽とテクノロジーを用いた巨大ステージで解放されているのを目の当たりにし、「なんだこの日本との違いは」と衝撃を受けたんです。

それから世界中のイベントを見て回り、次第に自分でも様々なイベントを手がけるようになっていきました。

2012年にアジアで初めて韓国で「ULTRA KOREA」が開催されたとき、たまたまアジア統括のボスと僕の友人が友達で、日本側のパートナーとして僕も関わることになりました。

当時、韓国にダンスミュージックのムーブメントはほとんどなかったのですが、蓋を開けてみたら10万人が熱狂していたんです。突然、歴史が変わったようでした。参加者の7割は、いままでダンスミュージックやクラブに全く親しんだことのない人たちです。 解放されて泣いている人や、目を輝かせてる人をたくさん見ました。

かたや日本では、「規制が厳しいからできない」という声がすごく多かった。大人は「昔の日本は良かったけど今はダメだ」「バブルのときは楽しかった」と説教を垂れ、若者は「昔は良かったけど今はできない」「世界ではできるけど、日本ではできない」というフラストレーションを抱えているように感じました。

そこで、「ULTRA」を日本に持ち込み、「起きない」と思っていることを目の前で見せてあげたら、若者が未来への希望を持つきっかけになるんじゃないかと考えたんです。27歳まで閉じこもっていた僕が、世界に出て変わったように。 そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、「これを絶対に今のタイミングで日本にもってきたい」と強く思いました。

それが「ULTRA JAPAN」です。エイベックスさんと一緒にやらせていただくことができ、お台場で開催しています。今年で4年目、去年は3日間で12万人を動員しました。

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最終更新:12/5(火) 10:41
SENSORS