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「体操人生で一度、死んでいる」 元あん馬世界王者・28歳亀山耕平が「失うものはない」と挑む東京五輪

8/5(土) 19:00配信

産経新聞

 練習場にある更衣室兼スタッフルームで、徳洲会体操クラブ(神奈川県鎌倉市)の亀山耕平(28)は、監督の米田功(39)、コーチの佐野友治(39)、新宅裕也(33)と向き合っていた。

 2016年6月、リオデジャネイロ五輪の日本代表最終選考会である全日本種目別選手権が終わり、数日のオフを挟んだ後のミーティングだった。

 「亀、やめてまうんか? もったいないやろ。ショックやわ」。

 大阪府出身の米田が慰留の言葉を投げかけた。

 当時27歳の亀山はリオ五輪が最後の挑戦だと自らを追い込み、勝負に臨み、そして敗れた。20年東京五輪を目指そうとは考えていなかった。

 得意のあん馬1本でリオへの切符を狙った全日本種目別。演技の難度を示すDスコアが7.4、演技の出来映えを表すEスコアは8.4で15.800点。代表入りを果たすにはEスコアが最低でも9.1必要だったが、セア倒立から体を下ろしたときに動きが停滞するなどして点数は伸びなかった。

 結果は2位。優勝した萱和磨(20、順大)は代表候補選手に選ばれた。

 「終わっちゃったか。しょうがねーな」

 演技を失敗した時点で、もう代表入りはないと分かっていた。最終順位が確定してすぐは「こういう感じになったか」と妙に客観的でさえいた。

 しかし、“生”の感情は遅れてやってきた。胸の奥底から、じわじわと染み出すように。

 「こうしておけば良かったとか、そういうことがないように過ごしてきたけど、やっぱり結果が出ると反省が出てきて…」

 表彰式、悔しさは熱い涙となり、頬を濡らした。

 「負けて泣くのはダサイなと思いましたけどね。でも、解放感もあったんですよ。もう、これで辛いことをやらないで済むんだって」

 重力や遠心力に逆らって、意思通りに体を操る。トップレベルの体操競技の負荷は高い。

 亀山は所属先に「次の道を見つけながら1年くらい体操をやって終わろうと思っています」と伝えた。それへの答えが冒頭の米田の言葉だった。

 五輪代表を逃した、若くもない自分を雇い続けてくれる程、簡単な世界でないと分かっていた。遠くない未来に、切られることは覚悟していた。

 だから、東京五輪まで現役を続けるよう促してくれる米田への返答は一つしかなかった。反射的に口から出た。

 「はい。よろしくお願いします」

 「もちろんチームとしては選手を入れ替えないといけない。そこは一番悩む所です」

 米田はそう断ったうえで、亀山について語った。

 「『やめる』と言っても大して考えてないんだろうなと思ったくらいです。冷静に考えたらやめるなんてあり得ないだろうと。どれだけ考えたのか」。話すほどに言葉に熱がこもるのは、それだけ亀山を買っているからだ。

 「五輪の代表から外れて悔しくて泣いていた人間が、リベンジの場があるのに『お前、それで悔しくないのか』と。自分から手を離しただけに聞こえたんです」

 全日本種目別では萱に敗れたが、「勝負の所で勝てなかっただけで、下手だから負けた訳じゃない」。つま先まで神経の行き届いた大きな旋回。演技の質では亀山の方が上だとみている。だからこそ憤っていた。

 「4年間、もう一度、五輪を目指す所に亀の人間的な深さが出てくる。亀には東京五輪に行くべき実力、活躍する実力があると、俺は思っている」

 米田は、こう言って背中を押した。

 一方で、亀山自身は「引退」の意向こそ引っ込めたものの釈然としていなかった。競技を続ける環境を与えてもらえることには感謝しかない。ただ、気持ちを駆り立てる何かが足りなかった。「不安」を埋める何かが。

 「お願いしますとは答えながらも、そこから迷いましたね。俺にも次の人生があるだろうって。引退してからが怖いなって」

 亀山は13年アントワープ世界選手権種目別あん馬で金メダルを獲得している。03年アナハイム大会の鹿島丈博(37)以来、日本人2人目の快挙だった。しかし、「大したバリューはなかった」というのが実感だ。

 確かに個人総合世界王者の“キング”内村航平(28)や、同じ13年世界選手権種目別床運動を制した“ひねり王子”白井健三(20)らと比べて、メディアへの露出は少ない。あん馬世界一の実績だけで一生、食べていけるとは思えなかった。

 果たして、このまま体操を続けて、自分に何が残るのか。東京五輪を終えた4年後は31歳。体操漬けだった自分に、どんな道が開けるのか-。

 練習は続けていたが、身は入らなかった。同い年の内村や山室光史(28)が出場した8月のリオ五輪、テレビは見なかった。後々、ユーチューブで流れていた映像を目にしたくらいである。

 セカンドキャリアへの不安を抱えながら、さまざまな人に会いに行った。「自分の問題なのに、人に答えを求めてもしようがないのに」と思いながら。

 その中の1人、ある企業の社長は、こうアドバイスをくれた。

 「そんなこと考えている必要はない。本物志向で突き抜けることだけ考えて打ち込めばいい。そうすれば次の人生はできてくる」

 11月からは翌春に入籍することになる2歳下の女性と一緒に暮らすようになった。

 雑な練習を繰り返す日々、中途半端な生き方に飽き、だんだんと嫌になってきた。

 12月上旬のある日、亀山は机で一枚の紙に向き合った。

 「自分の人生の目的」を考え得る限り、洗いざらい書き出してみた。頭の中で、今と未来の自分と、ひたすら向き合った。

 たどり着いた答えは「家族と幸せになるために、社会に貢献するために生きている」だった。「この時、噛み合ったんですよ、全部、考え方が。一貫したんですよね」

 俺のあん馬を見たいという人が少なからずいる。応援したい、頑張っている人を見たい、楽しみたいというファンの人たちの欲求を、俺は演技で満たすことができる。俺は体操で求められている-。

 内なる声がすっと胸の奥に落ちたとき、もう一度、本気であん馬と向き合う覚悟が固まった。

 「僕は体操人生で一度、死んだんです。そして、米田監督につないでもらった。体操人生としては2回目。失うものはない」

 亀山の2020年東京五輪への挑戦が始まった。(運動部 宝田将志)

最終更新:8/5(土) 19:00
産経新聞