ここから本文です

(文化の扉 歴史編)異説あり 関ケ原、創作だらけ? 小早川の裏切り、開戦直後/「天下取り」後付け

8/6(日) 7:30配信 有料

朝日新聞デジタル

 東軍の徳川家康と西軍の石田三成が激突し、天下の行方を決めたといわれる関ケ原合戦(関ケ原の戦い)。この夏、原田眞人監督で映画化されるなど、私たちにはおなじみの歴史だが、戦いの経緯や陣立てを巡って異論が提起されている。

 私たちが知る関ケ原合戦は、以下のような経緯とされる。
 慶長5(1600)年7月、豊臣政権五大老の1人、徳川家康は上杉景勝の討伐のため、江戸城にいた。この時、同政権の奉行衆が家康を弾劾(だんがい)する「内府ちかひの条々」を公表。家康は対抗するべく武将をまとめて東軍を編成。西へとって返す。
 9月15日、関ケ原(今の岐阜県関ケ原町)で開戦。……本文:3,705文字 この記事の続きをお読みいただくには、朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュースの購入が必要です。

  • 通常価格:
    390円/月(初月無料)
  • 会員価格会員価格:
    324円/月(初月無料)

サービスの概要を必ずお読みいただき、同意の上、ご購入ください。

Yahoo!プレミアム会員登録はこちら(月額498円)

朝日新聞社