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【小説】東大ラノベ作家の悲劇――新小岩で笑っている自殺警備員をみたら、十五歳で立ちんぼをしていた首が“自主規制”な新宿の少女を思い出した:<前編>

8/7(月) 12:10配信

ねとらぼ

 新小岩は自殺の名所として知られる。
 私は総武線のグリーン車から、ビールを片手に、
 青々と光る異様な駅のホームを眺めていた。
 青い光は、心を癒やしてくれるらしい。
 不気味な蛍光灯の光に照らされて、
 自殺防止のために配置された警備員が、
 人混みの群れのなか笑っている。

【挿絵】とある教会

 グリーン車の二階から見下ろすその光景が、
 場違いな穏やかさで、ゆっくりと流れていく。

 そして突然ピアノの音が流れ出した。

 鍵盤の壊れた白い象牙を、
 跳ねるように踊るボロボロの指先。

 手首に一発。太ももに二発。
 首に四発。刻まれた弾痕のようなナイフの衝動。

 誰よりも美しかったそのからだは、
 他の誰でもない彼女自身によって、
 汚された。

 だがその傷痕は、
 彼女が生きた痕跡として、
 いまでもはっきりと意識に刻まれている。

 それは私のあたまの中にある、
 吐き気がするほど大切な記憶だ。


1 十五歳の偽造保険証を見抜けない大人


 その少女に出会ったのは、もう10年以上前のことだ。
 彼女は偽造保険証を使って、歌舞伎町の店で働いていた。
 当時は、顔写真付きの身分証が必須ではなかったから、
 百円ショップで買った透明なプラカードを糊で挟んで、
 保険証の生年月日をごまかすだけの単純な仕掛けでも、
 店の人間を欺くことができた。

 六本木の高級クラブでもなければ、
 銀座の会員制ラウンジでもない。
 吐瀉物にまみれたコマ劇裏の飲食店だ。

 劇場も。店も。少女も。友人たちも。
 いまではもうみんないなくなってしまった。


2 新宿にかつて存在した十代少女の売春通り


 当時、私は、学費を稼ぐために歌舞伎町でアルバイトをしていた。
 酒や軽食を運ぶだけの、簡単な仕事だ。
 だがその簡単な仕事さえロクにできず、
 罵声を浴びせられながら働かされていた印象がある。

 とはいえ、大学にうまくなじめなかった私は、
 それでもそれなりに楽しく出勤していた。
 義務教育を別の形で終了した人間(少年院)や、
 肌と墨の比率が明らかにおかしい上司、
 俳優を目指すタレントの卵など、
 様々な人種が混在していたが、
 なぜかそちらの空気の方が、大学での学びより健全な気がした。
 ツルハシを振るっている方が好きだったと、
 作家の中上健次や高橋源一郎は語っているが、
 私も土いじりを好むタイプの人間なのかもしれない。

「大学生」

 当時、私はそんな記号的なあだ名で呼ばれていた。
 しかし、それは決して否定的なニュアンスの含まれたものではなかった。
 夜の職場で働いたことのある者なら、誰でも分かるかもしれないが、
 大学生という希少種は、それだけで可愛がられるものなのだ。

「お前が何を言ってるか分からん」
 よく、そんな風に、小指のない指導係に、
 言われたものである。
「本当に大学生か?」
 何度そのセリフを言われたか分からない。
 私は用心深い人間だったから、当初自分の出自を完全に隠していたが、
 あまりに簡単な経歴に違和感をもった店長に感づかれ、(地元の進学校卒業後になぜか都内で独り暮らしをしている無職の十代)
 学生証をコピーされる羽目になってしまった。

「もういい。買い出し行ってこい」

 いつものように客の煙草を買いに行かされた私は、
 偶然その一角に立ち寄った。

 歌舞伎町の暗部。
 バスケットコート裏の、
 薄暗く人通りの少ないデルタ通り。

 そこに白い肌の少女たちが、
 ポツリポツリと浮かぶ電灯のように点在している。

「絶対に近づくな」
 と、店の人間から言われていた場所である。
 歌舞伎町の人間関係は複雑で、後ろ盾となる組織の勢力図から、
 関わっていい場所と関わってはいけない場所が、明確に区別されている。
 だが、夜の街になれ、危機意識の薄れていた私は、
 気が付けば、その通りに出くわしていた。

 病院の裏、チープなホテル街が並ぶ、
 異様な静けさを放つ薄暗い一角。

 なぜ、そんな場所に、十代の少女たちが立っているのか?
 答えは明白だ。

 そこは知る人ぞ知る売春エリアだったのである。

 村上龍の言葉を借りれば、
「タクシードライバー」でダウンタウンを流しているような、
「最低の娼婦たち」といった趣だ。

 その中の一人として働いていたことを、
 彼女は絶対に言わなかった。


3 そのとき私はもう十九歳になっていた


 書けば失われてしまうものもある。
 物語にしたくないと思っていた事柄を、
 どうして私は書いてしまうのだろう。

 それは瘡蓋を剥ぐようなものなのに。
 ようやくふさがれた傷口をひらく行為。

 それが小説を書くということなのだとすれば、
 そこに何かの救いはあるのだろうか?

「知ることは変わる力を獲得することだ」と、
 ライトミルズは言った。

 変わりたかった。

“自分がいつも一番で、
 鏡に映る姿ばかり気にしていて、
 街には唾を落としている。
 胸はいつでも不安に焼かれて、
 始終脅えた目をしているのに、
 信じるものを何一つもたない。”

 そんな退屈な生ゴミのようだった自分は、
 ゴミの掃き溜めのような都会の片隅で、
 いつもそれなりに足掻いていた。

 大きな目。
 大きな胸。
 小さな手。
 細長く白い足。
 化粧に慣れた顔。
 手入れの行き届いた肌。

 ――大人びた彼女は、二十歳以上にしか見えなかった。
 とても、年下には見えなかった。最初年齢を偽っていた。

 どのようにして彼女と出会ったのか。
 どのようにして彼女と関わったのか。
 あまり言いたくないのだが、
 きっとこれが変わる最後の契機な気がする。

「ゴッ」
 列車が轟音と共に通過する。
 車両が、ゆっくりと動きだす。
 壊れた電飾が小雨に濡れて、
 バチバチと激しい音をたてる。

 私は、駅を大幅に通り過ぎて、
 ようやくケータイを取り出した。

 まだ彼女の経験人数は100に届かず、
 私の経験人数はゼロに等しかった。

 電話にでれなくてごめんね。

 本当に首を十字に切るなんて思わなかったよ。



●作者プロフィール
鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。
『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。
『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。
― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―
最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works
Twitter:@kagamisa_yousei

最終更新:8/7(月) 12:10
ねとらぼ