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「広島は被爆してない人が行って騒ぐところなんだ」 ある学者の語れない原爆体験

8/6(日) 9:46配信

BuzzFeed Japan

戦後を代表する論客が、その生涯を閉じるまで語れなかったことがある。あの日、被爆し、その目で見た広島の惨劇のことだ。彼は戦争は語れても、広島は語れなかった。語りきれない「広島」はなにを意味するのか?【BuzzFeed Japan / 石戸諭】

終戦直後に、日本の超国家主義を論理的に批判した丸山眞男(1996年に死去)。現代文の教科書にも取り上げられる、戦後日本を代表する政治学者である。

議論闊達な論客としても知られていた丸山は、あの日、広島にいた。

その目で原爆の惨状を見たにも関わらず、あの戦争については語っても、広島は最後まで語ることが少なかった。彼の言葉から「語りえない原爆体験」を想像することの意味がみえてくる。

おさえておきたい2つの事実と、1つの言葉がある。

原爆投下の瞬間をその目で見て、相当の被爆をしたにもかかわらず丸山は生涯、被爆者健康手帳の申請も交付をしていない。

丸山は広島での体験を公の前で語ることに20年、1945年以降、再び広島を訪れるのに32年かかっている。

その上で、丸山は広島について、こんな言葉を残した。1984年10月6日の発言である。

「広島ってとこはね、被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない」(『自由について 七つの問答』)

丸山は「被爆体験」ではなく「原爆体験」と呼んでいる(「二十四年目に語る被爆体験」『丸山眞男話文集1』より)。そして自ら進んで語ることはほとんどなかった。それはなぜなのか。

広島を怖れた

まず、明確に指摘できることがある。丸山は広島を語ることを怖れていた。

丸山が原爆体験を語った貴重なインタビューがある。中国新聞の元記者、林立雄によるものだ。収録日は1969年8月3日、場所は肝炎のため入院していた国立がんセンターである。

「僕は行きたいけど、怖くてね。怖いですよ」
「(広島訪問は)何とも言えない嫌な感じもして。怖いとか。いろんな何とも言えない感じです」(「二十四年目に語る被爆体験」より)
訪問を迫る林の質問を、丸山は繰り返し「怖い」という言葉を使って、拒んでいる。

丸山が初めて--本人いわく「ほとんど初めて」--被爆体験を公に語ったのは戦後20年目にあたる、1965年8月15日のことだった。

「二十世紀最大のパラドックス」と題された講演で、文章化されている。

もっとも講演の冒頭部分で「その瞬間」を語っただけで、「この目で見た光景をお話する気にもなれません」と深入りすることは避けている。

しかし、この講演で初めて丸山が「被爆」していた事実を知った人も多かったという。20年間、ほとんど沈黙してきたのだ。

初めての訪問は1977年だった。国内各地を旅行し、海外も頻繁に行っていたのに、広島には32年間一度も行けなかった。

「勇を鼓して」行ったという。

その理由は本人も「正直なところ本当に分からない」(『丸山眞男話文集1』より「1950年前後の平和問題」)。広島を見ることを恐れる気持ち、見たいという気持ちがせめぎあってと告白している。

一体、丸山は広島で何をみたのか?それをたどることで、なぜ語ること、行くことを避けたのかがわかる。

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最終更新:8/6(日) 11:54
BuzzFeed Japan