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上原康助氏が死去 全軍労、衆院議員、初の県選出大臣 84歳

8/6(日) 12:05配信

沖縄タイムス

 衆院議員を10期、30年務め、国土庁、北海道・沖縄開発庁長官などを歴任した上原康助(うえはら・こうすけ)さんが6日午前10時16分、呼吸不全のため、沖縄市内の病院で亡くなった。84歳だった。本部町出身。自宅は嘉手納町屋良817。

 1932年生まれ。北山高校を卒業後、軍雇用員として米軍基地で働いた。県民に対する人種差別的扱いや劣悪な職場環境の中、61年結成の全沖縄軍労働組合連合会(全軍労)の初代委員長に就任。軍雇用員の劣悪な職場環境の改善や本土復帰を訴え続けた。

 復帰前の70年、沖縄住民の国政参加特別措置法に基づく国政参加選挙に挑戦し、38歳の若さで西銘順治、瀬長亀次郎、国場幸昌、安里積千代の4氏とともに衆院議員に初当選した。

 沖縄振興開発計画、復帰特別措置、厚生年金の格差是正、マラリア慰謝事業、軍転特措置法の成立など、「沖縄の心を国政の場に」を信条に、沖縄問題の解決に取り組んだ。

 引退する2000年まで、衆院議員を連続10期、30年務めた。93年の細川連立政権では沖縄開発庁長官に就任、県出身だった伊江朝雄氏に次いで、県選出議員では初の大臣となった。

 94年社会党副委員長、96年社民党副党首に就任。98年、政策研究会「未来21・沖縄」を結成し、「沖縄もう一つの選択」アピールを発表した。保守系から大田昌秀知事の対抗馬として県知事選に擁立する動きもあったが実現せず、同年6月に社民党を離党、除名処分を受け、民主党に入り、県連代表に就いた。

 2000年の衆院選沖縄3区で東門美津子氏に敗れ、比例復活もならず落選。政界を引退した。

 2002年勲一等旭日大綬章受章、04年沖縄タイムス賞受賞。

最終更新:8/6(日) 12:05
沖縄タイムス