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母の被爆体験 米国へ 来夏にも英訳冊子 継承へ近い新た

8/7(月) 9:28配信

長崎新聞

 母の被爆体験を世界に伝えたい-。長崎市の小学校教諭の錦戸惠子さん(53)が、母陽子さん(86)の体験記を英訳する作業を進めている。完成した英訳文は米オレゴン州在住の友人に届け、現地の人々に原爆の悲惨さを伝えてもらうという。

 母陽子さんは14歳の時、学徒動員先の三菱長崎兵器製作所大橋工場(爆心地から1・1キロ)で被爆。混乱したまま近くのトンネル内へ逃げ込み、翌日、山を越えて磯道町の自宅に帰った。

 惠子さんは母の体験を聞いて育った。2006年4月から1年間、米国へ留学し、現地で原爆の被害がほとんど知られていないことにショックを受けた。12年ごろ、被爆体験を後世に伝えるため母に書き残してほしいと頼み、それを英訳すれば海外の人にも伝えられると考えた。

 昨年夏、母は400字詰め原稿用紙26枚に体験をまとめた。逃げ込んだトンネル内には人々の泣き叫ぶ声が響いていた。帰宅途中の山中で頭や体にぼろ切れを巻いた負傷者からもんぺをつかまれ助けを求められたが、何もできず泣きながらその指をほどいた。終戦後、高熱が出て新興善国民学校にあった救護所に入った。隣にいた女の子は死んでいった。その後も後遺症におびえ、結婚や出産ができるのか恐怖と隣り合わせだった。

 惠子さんは予想以上に分量が多いことに驚き、その中には聞いたことがなかった壮絶な体験も含まれていた。英訳には自信があったが、「正確に翻訳できるのだろうか」と不安に駆られた。英文に訳された他人の被爆体験記をあさり、どの単語を使うべきか思い悩んだ。そんな時、母の言葉は心の支えになった。「私の体験を一番知っているのはあなた。安心して任せるわ」

 惠子さんは体験記の半分を英訳した。かつて惠子さん親子の英会話講師を務め、今は米オレゴン州に住むローナ・サイモンズさん(71)の助言を受けながら、来年夏には仕上げ冊子にしたいと考えている。

 「英訳を通じ自分も被爆2世なんだと改めて感じた。母の思いを胸に継承していく」。惠子さんはそう誓った。

長崎新聞社

最終更新:8/7(月) 9:28
長崎新聞