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慶尚南道陜川に韓国初の原爆資料館がオープン

8/7(月) 16:38配信

ハンギョレ新聞

1945年8月、日本で被爆した韓国人被害者の資料展示 原爆被害者はみな高齢のため関連資料収集と整理が至急

 韓国ではじめての原爆被害者資料館が「韓国の広島」と呼ばれる慶尚南道陜川(ハプチョン)にオープンした。1945年8月6日、広島で原爆が爆発してからちょうど72年ぶりのことだ。

 韓国原爆被害者協会陜川支部は6日午前11時、慶尚南道陜川郡陜川邑の陜川原爆被害者福祉会館の慰霊閣で原爆犠牲者慰霊祭を行った。支部はこれに先立ち、午前10時30分、福祉会館の入り口に建てた陜川原爆資料館の開館式も行った。

 資料館は地上2階建てで、慶尚南道費3億ウォン(約2970万円)、陜川郡費3億ウォンと宝くじ基金15億ウォン(1億4900万円)など計21億ウォン(
約2億円)をかけた。1階には展示室と韓国原爆被害者協会陜川支部の事務室、2階には資料室と韓国原爆被害者協会の事務室が配置された。

 展示室は、原爆の背景・被害・理解など大きく三つに分かれている。展示室の案内によると、1945年8月6日の広島と8月9日の長崎で原爆が爆発した時、死亡者は広島20万人、長崎8万人など28万人に上る。このうち韓国人死亡者は広島3万5000人、長崎1万5000人など5万人で、全体の犠牲者の20%に近い。彼らの出身地は慶尚南道陜川が最も多い。陜川出身の強制徴用者の大半が広島に連れて行かれたからだ。このため、陜川は「韓国の広島」と呼ばれる。

 韓国原爆被害者協会陜川支部は、当時原爆に被爆したが幸い一命を取り留めた人々と、解放以降に生まれた彼らの子どもなど約300人から、直接経験した被害状況を自筆の陳術書で集め一部を展示している。原爆被害者たちはみな高齢であるため、中には資料館の開館を準備している間に自分が経験した苦痛を遺言のように残して亡くなった人も多い。

 シム・ジンテ韓国原爆被害者協会陜川支部長は「原爆被害者たちはみんな大変に苦労して暮らした上に、死んだ後は遺品を燃やす韓国の伝統文化のために、原爆被害者に関する資料が非常に貧弱なのが実情だ。被害者はみな高齢なので、もっと時間が経つ前に関連資料を急いで収集しなければならず、これまで収集された資料は専門家らを動員して体系的にまとめ電算化しなければならない。韓国政府のより積極的な関心と支援を切実に求める」と話した。

陜川/文・写真 チェ・サンウォン記者csw@hani.co.kr(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:8/7(月) 16:38
ハンギョレ新聞