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時給650円のバイトが教えてくれた「働きがい」のある職場の条件

8/8(火) 21:36配信

ITmedia エンタープライズ

 働き方改革が叫ばれる中、企業は社員がいきいきと働ける環境を作りたくて四苦八苦している。そんなおり、ご縁があって、ネッツトヨタ南国の横田英毅さんと元ソニー上席常務の天下伺朗さんのセミナーにお邪魔する機会があった。横田さんがどれだけ人に軸足を置いた経営をしているのかは著書を読んで知っていたが、生で聞くとより面白かった。

【画像】千葉の片田舎のマクドナルドで、なぜいきいきとした職場環境が生まれたのか

 横田さんは、「金銭的な報酬や地位、評価を与えても、一時的な満足しか引き出せない」「幸せに働くには、認められ、必要とされ、感謝され、自由にチャレンジできる環境が必要だ」とおっしゃっていた。そして、「利己的に満足を求めると、幸せは遠ざかる。利他的であれ」と。

 とても良く分かる。金銭や物的な欲求は、満たされると、次が欲しくなる。際限がなくなる。それよりずっと大事なものがあり、そこがうまくいけば長くいきいきと働ける。

 2人の話を聞きながら、この感覚をずっと昔に経験していたことに気が付いた。高校、大学時代にファストフードチェーンのマクドナルドでアルバイトをしていたときのことだ。金銭以外の目的でいきいきと働くということについての僕の原体験はここにあったのだ。

 当時、どんな状況で働いていたのか、何がいきいきとした職場を生み出していたのか、そのあたりの話をしてみようと思う。

●千葉の片田舎のマクドナルドで何が起こったのか

 かれこれ20年も前の話。千葉の片田舎のごく小さいマクドナルド(直営ではなく、オーナーがやっているフランチャイズだった)でバイトをしていた。そこは、やたらと働きがいのある職場で、みんながいきいきと働いていた。

 当時のバイト仲間は20年たった今、ビジネスの世界で大活躍している。三菱商事の課長、キーエンスの営業部長、マレーシアで事業を展開している社長、コンサルティングファームのディレクター、税理士、一級建築士、気球屋さんなどだ。みんながそろいもそろって、何と活躍していることか。

 当時、いきいきと働く楽しさを知ることができたからこそ、社会に出ても活躍しているのかもしれない、と思う。

 当時を振り返ってみると、いろいろと驚くことがある。バイト代は、当時の世の中の最低時給である650円だった。今では考えられない低賃金だが、仲間たちは毎日バイト先に入り浸って、自発的にいろいろな仕事をしていた。とても仕事を楽しんでいた。

●みんながいきいき働いていた職場の様子とは

 当時のバイト先はどんな職場環境だったのか。思い出しながら、当時の状況を書いてみる。

みんなが、“自分の得意な領域”を持っていた

 マックには、実にさまざまな仕事があった。ポテター、ドレス、バンズ、PC、フライヤー、カウンター、シンク、メンテ、フィフタリング、グリスト……。挙げるとキリがない。

 さまざまな仕事がある中、それぞれが「この仕事が好きだ!」「この仕事なら負けない」という領域を持っていた。活躍できる領域があったのだ。こだわりの領域といってもよい。

 ポテトが得意なやつ、シンクが得意なやつ、バンズが好きなやつ――それぞれが互いに認め合っていて、「ポテトといえばやっぱり豊だよなー」「ドレスのスピードは亮よね」なんて会話が出てくる。マックに入りたてのメンバーは「豊さん、ポテトのコツ教えてくださいよ。一発でピシャリと入れてくるなんて信じられないっす」なんて言っていた。

 「ごみ搬」というごみ出しの仕事ですら、1回にどのくらいの量を出せるかを競っていたものだ。普通は汚い、臭いといわれるような仕事でさえ、こだわりを持ってやっているやつがいた。「どうやって楽しもうか、より良くしようか」ということを考えてやっているやつがいたのだ。だから、「アレだけ大量にごみがあったのに、たった2往復? すごいじゃん!」なんて会話も自然に生まれていた。

 また、シンクのグリストラップ(油を除去する排水口)の掃除が毎週あったのだが、それがまぁ汚い……そして臭い。そんな仕事でも、こだわっているやつがいた。しかも歴代グリストラップの番人みたいな人までいたのだ。「この仕事をいい加減にやると、油が詰まって営業中に洪水になるんだ。ちゃんと奥まで手を突っ込んで、ここまで油をかき出さないとダメなんだ!」と。

 まぁ、周りの仲間は、やりたくないからお任せしていた。でも、グリストの仕事を見下していたわけではなく、「その仕事は好きじゃないけど、その仕事の大事さは分かる。そしてその仕事を誰よりもプロとして完璧にこなす飯田さん、すげーよな。こだわり過ぎてウケるけど(笑)」という感じで見ていた。

 つまり、異なる価値観を持ってこだわって働く仲間に敬意を払っていた。そして、こだわって働くことを、みんな、楽しんでいたのだと思う。

 ちなみに僕は、店を閉める仕事(クロージング)の徹底した効率化にこだわっていた。お客さんへのサービスクオリティーは落とさずに、どうやって素早く店を閉められるか。クロージングが早く終われば、店を閉めているチームは早くバイトから解放されるからだ。「今日の終了目標は22時10分にしよう!」なんて言って、しょっちゅうみんなでチャレンジしていた。

自分より上のタイトルには、自分より仕事ができるやつしかいなかった

 バイトには、役職が付いていた。Cクルー、Bクルー、Aクルー、という名前の役職だった気がする。

 タイトルが上がると時給も上がるのだが、これは絶対評価だった。日本企業によくあるような相対評価ではない。タイトルアップするもしないも、全ては自分次第だった。

 そして、上位職には、自分より仕事のできる人しかない。これが気持ちよかった。だから、タイトルが上がると、時給が上がるが、それ以上に「Aクルーとして認められた」という感覚が誇らしかった。

利他的な価値観が自然だった

 そして、評価の項目の中に「店に貢献している」「バイトの育成に貢献している」という項目もあった気がする。店のために何かをやる、人を育てるために何かをやる、という行動が当たり前のように評価されていた。

 だから、「自分の仕事しかやらない」人はほとんどいなかった(実際はいたのかもしれないが、20年もたって多少、思い出が美化されているのかもしれない……)。

 利他的な価値観(他者に利益になることを進んでやることを良しとする価値観)が当たり前だった。自分のことをさっさと終わらせて、他のところにヘルプに入るやつがカッコイイと思われていた。少なくても僕はそう思っていた。「助けられる人でなく、助ける人になりたい」と思った。どうやって他の支援をしようかと、いつも考えていたものだ。

時間外でみんなが好きなことをやっていた

 当時は、時給をもらっていない時間外にもいろいろなことをやっていた。若手のトレーニングマニュアルを更新したり、在庫が置かれているバックヤードの大掃除をしたりなんていうことはしょっちゅうだ。

 大掛かりなものになると、クリスマスパーティがあった。カウンターのチームは、毎年、子どもたちを呼んでクリスマスパーティを開催した。誰かに「やれ」と命令されたワケけじゃない。誰かが「やろう」と言い出し、「それ、いいね!」と賛同する人が集まり、バイトが勝手に続けている取り組みだった。

 実際に子どもたちとパーティをしている時間はバイト代が出たが、準備の時間は無給だった。今、思うと「それはそれでどうよ?」と思うけど、カウンターのチームはみんな、楽しそうに働いていた。

 そして、クリスマスパーティを仕切るメンバーは、バイトの中でもエース級のメンバーだった。店の“顔”みたいな存在だ。若いメンバーは、キラキラの笑顔でパーティの準備をするデキるお姉さんたちを見て、「いつかあんなふうになりたい」と思っていたようだった。無給でパーティの準備をするメンバーは、傍から見ていても本当にいきいきしていた。

 もっと日常的な話もある。シフトが入ってなくても、店のクロージングを手伝いに行くことがよくあった。店を閉めていると、誰かがふらりと遊びに来て仕事を手伝ってくれる。その後、みんなで飯に行ったり、遊びに行ったり。

 タダで店のクロージングを手伝うから「タダクロ」という名称で呼ばれていた。今考えると、名称が付くらい常態化していたということだろう。でも、誰も強制などされてない。好きでやっていたのだ。誰かがタダクロに来ると、ちょっとしたお祭りみたいになって楽しかった。

 駅前に店があったから、帰りがけにフラッと店に寄るやつが多かった。日中でもふらりと立ち寄って、本社から送られてくる最新の情報に目を通したり、仲間と雑談したりしていたり、第2の家みたいになっていた。

他のバイトでは得られない何かがあった

 バイトの時給が安過ぎるので、僕は、何度か他のバイトをしてみたことがある。マックの1.5倍くらい出してくれる倉庫のバイトとか、引っ越しのバイトとか。

 でも、どれも恐ろしくつまらなくて、続かなかった。時給が良くても、全然楽しくなかった。まるで労役のようだった。

 でもマックはそうじゃなかった。時給は恐ろしく安いけど、なんだか楽しかった。みんな、いきいきしていた。そしてその時代を共に過ごした人達は社会に出ても活躍している。楽しそうに仕事をしている。

 当時は当たり前だと思っていたけど、普通じゃなかったのかもしれない。これって何なのだろうか?

●時給650円の職場にあったのは?

 あんなにいい雰囲気の職場が生まれた理由を、いくつか考えてみると、今の多くの日本企業とは、ずいぶん違いがあるようだ。

いい意味で完全放置

 50人くらいのバイトに対して、社員は2人。店を開けるのも、閉めるのも、売り上げを入金するのも、全部バイトだった。新人を育成するのもバイト、育成のカリュラムを考えるのもバイト。クレームに対応するのもバイトだった。

 とにかく社員が少ないから、「アレやれ、コレやれ」なんて言われない。マイクロマネジメントなんてできない。だから、みんな自主的に、好き勝手なことをやっていた。

 発案したことを否定されることもまずない。「やってみたら?」と。そもそも何かをやるのに許可をもらった記憶さえほとんどない。特に時間外の活動は、全くの放置状態だった。

 でも、普通の会社はそうじゃない。細かく行動を管理しようとする。

ネガティブなフィードバックはほとんどない

 ミスした理由を問いただしたり、叱責(しっせき)したりする文化はなかった。

 ミスはよくあった。テイクアウトで商品を入れ忘れてしまうケースがよくあった……。

 でも誰も叱責しない。フォローし、一緒に再発防止を考える。なぜそうなったのかはよく分からない。でも、叱責しなくても、追求しなくても、ミスしたことは自覚できた。みんながフォローしてくれるから、余計に響いた。「あ、俺、イケてなかたったな……。みんなに迷惑かけちまった。クソ」という感覚があった。

 だから、自発的に「成長しよう、能力を上げよう」と思えた。外からプレッシャーをかけられなくても、自分でプレッシャーをかけていたのだ(横田さんが、まさに、この話をしていた)。これは、うまく言えないが、健全な成長をもたらしていた気がする。

 でも、多くの企業はそうじゃない。叱責と追求が日常の会社も多い。叱責で人は成長するのだろうか? 自分で気付いて努力する方が楽しいし、伸びるんじゃないか。

複数のタスクがあって、仕事を選べた

 シフトの時間も、タスクも選べた。ポテトが好きなやつは、ポテトを中心に仕事をすることもできた。昼のピーク時のお祭り騒ぎが好きなやつも、アイドルタイムののんびりした雰囲気が好きなやつも、自分で選べた。

 苦手な仕事は積極的にやらなくてもよかった。他に得意なやつがいれば任せて、もっとパフォーマンスが出せるところ、楽しいところで仕事をすればよかった。

 一方で、もっと難易度の高い仕事がしたければ、スキルさえ身に付ければやらせてもらえる。だから、仕事がつまらないなら、自分で楽しいと思える仕事にチャレンジすればよかった。僕は実際、クロージングの仕事がしたくて、先輩にトレーニングしてもらった。

 強制的にやらされる仕事や、それしかやっちゃダメ、といった状況はほとんどなかった。

 普通の会社は、仕事が与えられ、苦手だろうが嫌いだろうがやるしかない。

 マックでは、一通り仕事を覚えて、最低限の仕事をこなせるようにはしておくけど、後は好きな領域で貢献すればよかった。

だから、自然と自分の興味のある領域に多くの時間を割いていた。興味のある領域だからパフォーマンスも上がる。いずれ第一人者として認められる。さらにいろいろ工夫したくなる。そういうサイクルが回っていたのかもしれない。

結局「何を目指しているのか」が明確だった

 お客さんにタイムリーに良い商品を提供する、それもできるだけ効率よく。そしてお客さんに笑顔になってもらいたい――。それが明確なミッションだった。別に明示的に掲げられていたわけじゃないけど、みんな、暗黙的に分かっていた。

 決まったメニューを提供するマックだから、「そりゃそうだろう」ともいえるかもしれない。でも、目指すところが明確だったからこそ、そのために何をすればよいか、店をどんな状態に保てばいいか、各自が勝手に考えられる状況にあったのだと思う。

 よく「言われたことしかやらない」という言葉を聞くが、最終的に何を目指しているか分からないのに、自発的に動けるわけない。言われたこと以上のことをやるには、明確な目的意識が必要だ。そして、自律性を引き出すためには、目指す姿の共有化が絶対条件だ。

 マックのケースは、何もしなくても分かりやすい「目指す姿」があったのかもしれない。

集まったメンバーの価値観が比較的そろっていた

 「バイトは、お金を稼ぐ手段」とだけ思っているやつは、いなかった。そもそも時給650円じゃ稼げない(笑)。「金銭ではない何か」に価値を見いだしていた連中が集まっていた(厳密に言うと、稼ぎを大事にする人たちは、そもそもこなかった)。

 金銭以外の何か。それが何なのかは、人によって違っていた。貢献しているという感覚、所属しているという感覚、仲間といる感覚。仲間たちは超絶個性的だったが、根っこの価値観は一緒だったように思う。

 普通の企業で、給料以外の働く価値を見いだしている人は、どのくらいいるのだろうか?

ほどよい競争があった

 「ほどよい」というのがポイントだ。もちろん、成績を数字で書き出したりなんかしていない。

 「あの人のようにかっこよく仕事が回せるようになりたい」「同期のあいつはポテトがすごいから、俺はドレスで活躍するぜ」といった競争だ。30分あたりの売上高を競っていたこともあった。「やっくんと、松と、まゆきのメンバーでXX万も売り上げたらしいぜ? やるなー。今日のランチピークで、挑戦してみるか?」とか。

 自分たちで面白がって競争環境を作っていたのかもしれない。誰かに与えられた競争ではなかったから、楽しかったのかもしれない。

憧れの先輩がいた

・俺にはできない仕事をあっさりやる先輩
・後輩のミスをさらっとカバーする先輩
・新人を上手に育成する先輩
・お客さんをキラキラの笑顔で接客する先輩

 そんな先輩たちは、プライベートもかっこよかったから、なおのこと「あんなふうになりてーなー」と素直に思えた。今でも当時の先輩たちに会うと、ウキウキする。

 普通の会社で、こんなふうに思える先輩がどのくらいいるのだろうか?

仕事を楽しもうとしていた

 単調な仕事だったからこそかもしれないが、1つ1つの仕事をどうせなら楽しんでしまおうという風潮があった。みんな、面白がっていたように思う。

 「見ろ、このピカピカのグリルを!」とか言って、肉を焼く鉄板を独自の方法でピッカピカにするやつもいた。

プライベートでもとても仲が良かった

 年中、みんなで遊んでいた。この時期、高校の同級生や家族より、バイト仲間と一緒にいた時間が圧倒的に多かったと思う。

 今思うと、プライベートでめちゃ仲が良かったから、仕事で言いたいことをストレートに言えたのかもしれない。そして、人間的に好きな人ばかりだったから、自然とフォローしたいなと思えたのかもしれない。

「ありがとう」と言うのが当たり前の環境だった

 マックでは「XXプリーズ(XXお願いします、XX作って、XXやって)」「サンキュー」というやりとりが普通。今思うと、かなり不思議なやりとりだが、「サンキュー」が死ぬほど飛び交っていた。

 だからなのか、よく分からないが、当時「ありがとう」は自然だった。僕は今でも、「ありがとう」をかなり口に出して言う。

 今振り返ると、「ありがとう」と言われたかったし、同じくらい、「ありがとう」と言いたかったように思う。

●働きがいは金銭じゃない

 このような感じで、当時の僕のバイト先では、普通の企業ではなかなかお目にかかれない状況が当たり前になっていたようだ。

 世間では「マックはマニュアルの文化」と思われているかもしれないが、むしろ全く反対だった。最低限のことはマニュアルで統制しているが、それ以外は、何も管理されていない。自分たちで考える世界だった。

 最低限のことがマニュアルで統制されているというのは、言い換えると、それさえ守っておけば、何をしてもよいということでもある。

 キッチリとマニュアル化されている範囲が明確だからこそ、むしろ自由度が高まったのかもしれない(もっとも、単にフランチャイズ店だったから、いろんなことがゆるゆるだったのかもしれないが)。

 ちなみにオーナー兼店長は、ほとんど店には来なかった。たまに来ると、適当な接客をするので、返ってバイトたちから「店長、後ろに下がっててください!」なんて言われていた。今思うと、かなり面白い状況だ。

 こうして振り返ってみると、この経験が僕の仕事の原体験になっているのは間違いない。「やっぱり働きがいは金銭じゃない」と確信している。

 あのバイトは、間違いなく楽しかった。どこにでもあるマックなのに、働きがいがあった。そんなバイト先も、いろいろあって今はもう、ない。(だから美化されているのかもしれないが。)

 自分のチームや会社が、金銭以外の価値観を大事にしていきいきと働けていたら、みんなが自分なりの個性を発揮して、認め合える環境で仕事ができたら、そして、その結果としてたくさん給料がもらえたら――。最高だと思う。

 田舎のどこにでもあるようなありふれたマックで、学生が運営しているようなマックで実現できたのだから、今の僕に実現できないわけがない。