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私の父はチェ・ゲバラ。革命家の息子として生きるということ

8/8(火) 11:00配信

BuzzFeed Japan

エルネスト・チェ・ゲバラ。キューバ革命を成功させた彼は、世界で一番有名な革命家でありながら、ひとりの父親でもあった。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

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ゲリラ戦の山中で出会い、結婚した妻・アレイダとの間に4人の子どもをもうけたゲバラは1967年10月、ラテンアメリカ革命を目指すゲリラ戦のさなか、ボリビアで殺害された。39歳だった。

今年で、没後50年。残された子どもたちは、この半世紀をどう生きたのか。

「父さんは、自分自身で人生を選択し、決断したひとりの男でした」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、ゲバラの長男カミーロさん(55)だ。

いまはキューバ・ハバナの「チェ・ゲバラ研究所」でその人生の調査などにあたっている。8月9日から東京で開かれる写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」のために初来日中だ。

父親であるゲバラについて語るとき、カミーロさんは、愛称である「チェ」と、「パパ」(父さん)という単語を使い分ける。

「はっきり申し上げると、父さんの明確な記憶はないんです。覚えていたとしても、それは夢だったかもしれないし、誰かに聞いた話かもしれない。聞かれた時は、いつもそう答えるようにしています」

5歳で父を失ったカミーロさんと、そのきょうだいたちは、母親の手で育てられた。彼女はよく子どもたちを集めて、ゲバラの話をしたという。

「母親にとって、父さんは司令官であり、生涯の友であり、尊敬する男性でした。人間としてピュアで、清潔で、感受性が豊かで、言ったことはすべてを実行する。戦線でも常に先頭に立っていたと、母親はよく話してくれました」

子どもたちが抱えた寂しさ

ゲバラの友人たちも、子どもたちの世話を見てくれていた。

なかでも、ともに革命を戦い、半世紀にわたってキューバを率いたフィデル・カストロとは「しょっちゅう会っていた」そうだ。

カミーロさんは、カストロを親しげに「フィデル」と呼ぶ。

「常に残されたチェの家族のことを気にかけてくれた。子どもたちが何をしていたのか、良いことも悪いことも含めてすべて把握していましたよ」

それでも、父親不在の子ども時代はやはり「寂しかった」と振り返る。

悩みを抱えている時期はよく、夢の中にゲバラがでてきて、「他愛もない相談ごと」をしていた。日常生活でも、「常にやるべきことをやってきた父さんなら、どう行動するか、と考えてみることが多かった」。

「特にその不在を感じていたのは、父親を必要とする思春期のころ。同じ境遇に置かれている子どもたちなら誰しもそうなる、自然なことでしょう」

ゲバラは、自分の考えや言葉を書籍や日記に残していた。カミーロさんもそういった資料から、自然と父親の影響を受けていったという。

「遺された手記などの資料だけではなく、学校の教科書にもたくさん父さんの話が出ていた。好む、好まないに限らず、触れざるを得なかったのです」

ゲバラがキューバを離れてコンゴ革命に遠征する際、カストロや子どもたちに送った「別れの手紙」も教科書に載っていた。

「私たちに宛てられた手紙を、みんなと一緒に教室で読むのは、なんだか照れくさかった」

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最終更新:8/8(火) 11:46
BuzzFeed Japan