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「苦しみしか生まない」 9日は長崎原爆の日 被爆者、核廃絶訴え体験語る

8/8(火) 9:52配信

千葉日報オンライン

 あす9日は被爆から72年の「長崎原爆の日」。長崎で被爆した千葉県原爆被爆者友愛会の青木茂名誉会長(92)=習志野市=が7日、県庁で始まった「平和祈念原爆展」の会場で講演した。青木さんは本人だけでなく、家族らも後遺症に苦しめられている自身や米国人の体験を語り、「苦しみしか生まない。核がなくならなければ平和は訪れない」と核廃絶を強く訴えた。

 講演会は、原爆の悲劇を繰り返さないよう県内被爆者らで組織する同会が主催。パネル展やビデオ上映とともに被爆者らが自身の体験を伝えている。

 青木さんは20歳の時、長崎市内で地下でのトンネル工事に従事していて被爆。「『ドン』という圧力と同時にトンネル内のトタンが崩れてきた」。何が起きたか分からず外に出ると一面焼け野原に。けがはなかったが、黒焦げになった仲間、皮膚がただれて叫ぶ人々。「あの時の光景は頭に焼き付いている」。

 青木さんはその後、同会の活動などを通じ核廃絶を訴え続けている。

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 「車で100マイル先から来た。僕の話を聞いてくれないか」

 約10年前、国連で核兵器廃絶を訴える署名活動のため訪米した際、ホテルの部屋に米国人男性と男性の妻が訪ねてきた。

 1945年9月。19歳だった男性は、米軍で長崎市内を車で巡回する任務に従事。

 帰国後に結婚、子供にも恵まれた。しかし、長男は30歳で白血球が正常に機能しない病気で早世。娘2人も植物状態や甲状腺異常などの病に侵された。妻は計6回妊娠したが2回流産。1回は皮膚がない状態で生まれ2時間後に死亡した。

 男性は「放射能の後遺症かもしれない」と周囲に相談したが、「運が悪かっただけ」と「誰1人肯定してくれない。悔しくて仕方ない」と訴え、「これは後遺症か」と尋ねてきた。

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 青木さんも同じ経験をしていた。爆風を直接受けたわけではなかったが、まつ毛が抜け始め、歯茎の出血や体の硬直に苦しめられた。自身の息子、孫とも白血球の数が少ない-。こうした経験を率直に打ち明けると、男性は「やっぱりそうか。原爆の後遺症を認めてくれたのはあなたが初めてだ」と何度もうなずきながら感謝したという。

 青木さんは「日本だけでなく、米国でも後遺症に悩まされている人がいる」としたうえで、「誰にとっても苦しみしか生まない。核がなくならなければ平和は訪れない」と訴えた。

 夏休みの自由研究で講演を聞きに来た千葉市立泉谷小学校6年、内田翔太君(11)=同市緑区=は「たった一発の原爆がどれだけの人を殺してしまうのか。日本だけでなく、米国の人も苦しめていたなんて」と驚いていた。

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