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「惨劇を忘れられるわけにはいかん」被爆の苦しみ語り継ぐ 熊本県被団協会長・長曽我部さん

8/8(火) 11:22配信

西日本新聞

 広島、長崎への原爆投下から72年。被爆者の平均年齢は81歳を越え、熊本県内の被爆者も高齢化が顕著だ。県原爆被害者団体協議会(県被団協)は今年、20年続けてきた熊本市での慰霊式の開催を見送るなど、足元の活動は弱体化が進む。それでも県被団協の長曽我部久会長(81)=熊本市=は、原爆の実相を後世に伝える版画や書籍の製作などに熱意を注ぐ。「惨劇を忘れられるわけにはいかん」との思いが原点だ。

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 1945年8月6日。9歳だった長曽我部さんは、広島市の爆心地から東に20キロほど離れた村の学校で、原爆投下の瞬間を迎えた。強烈な光に包まれた後、ごう音とともに立ち上がるキノコ雲を見上げた。その下で、軍人だった父は行方不明になっていた。

 原爆投下の2日後、母と兄と広島市へ父を捜しに出かけた。「とにかく暑くて臭くて…」。廃虚で過ごした数時間は脳裏に色濃く残った。後日、父は焼け跡から骨になって見つかった。特定できたのは八角形の珍しい腕時計と金歯のおかげだった。ただ、3人は入市被爆した。

「72年たっても放射能に苦しむ人たちがいる」

 亡き母は生前に何度もがんを患い、兄も50歳代でがんで亡くなった。長く原因不明の吐き気に悩まされ、「もしかして自分も」と、被爆者健康手帳を取得した。県によると、県内の被爆者健康手帳所持者は1066人(3月末現在)。平均82・83歳と全国平均を上回り、昨年度は93人が亡くなった。

 県被団協と熊本原爆被爆者遺族会などは今年、原爆投下50年の1995年から熊本市で開いてきた原爆死没者追悼慰霊式典を中止した。遺族も高齢化し、式典の参列者が減ったことも背景にあるという。天草地方で9日に慰霊式があるが、活動はしぼみつつある。

 長曽我部さんは会社を引退後、移り住んだ熊本で被団協に加わり、小学校などで自身の体験や、原爆投下に至る歴史と戦後の日本の歩みを語ってきた。核兵器保有や核実験を禁じる核兵器禁止条約が採択され、核兵器廃絶の機運が高まる中、身をもって核の脅威を知るからこそ、被爆者の声の重みを自覚する。

 「あの日に起きた悲惨な出来事だけでは若い世代に伝わらない。核兵器の怖さは東京大空襲や水俣病とどう違うのか。72年がたっても放射能に苦しむ人たちがいる。生き残った人たちの思いを語り継がねばいけない」

=2017/08/08付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:8/8(火) 12:11
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