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長崎、亡骸と立つ少女は私 被爆翌日「涙も出なかった」

8/9(水) 8:01配信

朝日新聞デジタル

 少女がうつろな表情でたたずむ。足元には黒こげになった遺体。長崎に原爆が落とされた翌日、日本軍の報道部員だった山端(やまはた)庸介氏(1917~66)が撮影した写真だ。写っていた少女は、戦後も多くの苦労を重ねながら、72年間を強く生き抜いてきた。

【写真】「これも自分の運命だと、はっぱかけてがんばってきました」。必死で生きてきた戦後を龍智江子さんはそう語った=5月20日、福岡県大川市

 少女は龍(りゅう)智江子さん(87)=福岡県大川市。当時15歳で、女学校の生徒だった。自宅があったのは、長崎市浜口町(現・川口町)。爆心地から約300メートルという至近距離だった。

 別の場所で被爆した龍さんは、翌日、父庄太郎さんと自宅に戻った。あたりは焼けてなくなっていた。あちこちに転がる遺体を越えて歩いた。自宅跡には、亡きがらが横たわっていた。遺体の腹に、母サダさんの着物のような布地がわずかに残っており、母に贈った髪留めが付近にあった。

 「その場に立つと悲しいとかじゃないんですよね。涙も出ない。動転しとったでしょうね。どうして生きていこうか、って」

 その自宅跡に立つ龍さんを撮影したのが、山端さんだった。龍さんは50年後、テレビ局の取材で初めてこの写真を見た。長崎原爆資料館にも展示されている。「もう二度と戦争はあってはならん。人殺しですもんね。悲しいです」と語る。

朝日新聞社