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高校野球までしか使えない金属バットに、意味はあるのか?

8/9(水) 11:50配信

VICTORY

台風で延期された夏の甲子園が8日、いよいよ開幕する。白球を追う球児たちのプレーぶりは多くの人に感動を与える一方で、甲子園、高校野球にはあらためて考えてみると「なぜ?」と首をかしげたくなる不思議がたくさんある。そのうちの一つが、「なぜ高校野球では金属バットを使うのか?」という疑問だ。金属バット第一世代でもある作家・スポーツライターの小林信也氏の提言とは?

謎に包まれた金属バット導入の経緯

野球部の監督が、1本の奇妙なバットを僕ら部員たちに差し出したのは、1974年(昭和49年)の春、高校3年になって間もないころだった。

「まだ新潟県にはこの1本しかない」
そう言って、まずは監督自ら打撃練習で試した後、チームで最も長打力のある4番打者に「お前が使え」と、EASTONと記された新しいバットを手渡した。力任せの打撃で竹バットでさえ豪快に折ってしまう4番打者に、「これならお前でも折れないだろう」と、笑いながら渡したのだ。

銀色に輝くバット、それが日本の高校球界に突如現れた「金属バット」だった。
(このバットが試合で使えるのか?)

まさかと驚いたが、正式に高野連で使用が認められたという。思えば僕らは、金属バットが採用された初年度に高校3年生だった「金属バット第一世代」だ。

わが4番打者は、春季地区大会でその銀色バットで打席に立ち、「新潟県第1号」と、写真入りで地元紙に紹介された。

正直なところ、その4番打者が金属バットで飛距離を伸ばした、という印象は薄い。
ただ、「折れない」のはたしかに事実だった。

チームの5番打者は、後に新潟明訓高の監督として甲子園でも数々の勝利を記録する好打者・佐藤和也だった。他にも、スイング・スピードの速い3番打者がいたけれど、監督は、彼らに1本目の金属バットを持たせようとはしなかった。金属バットは繊細な打撃センスを持つ巧打者が使うものでなく、ちょっと粗っぽいヤツに持たせるには丁度いい、といった感覚だったのだと思う。

僕も手にして振ってみたが、その第1号バットは重すぎて、手に負えなかった。

いま振り返れば、なぜ金属バットがその年から導入されたのか? その理由や背景は案外、謎に包まれている。巷では「バット用の木の不足」「自然環境の保護」「金属バットは折れないから、高校野球の経費負担を軽減できる」といった理由で何となく了解されている。

アオダモなどの不足は確からしいが、当時広く使われていた合竹バットで足りていたのではないか? オイルショック(1973年秋)の直後だから、物不足に対する飢餓感は強かった。が、オイルショックでトイレットペーパー不足の騒ぎが起きたのと同じかそれ以上に、石油が高騰するから木製でなく金属バットに移行するというのも合理的でない感じがする。まだ環境意識は高くなかった。

そもそも、硬式野球は安い予算でできる競技ではない。試合球は1個1000円以上する。グローブも高級モデルはいま4万円、5万円の価格が当たり前だ。バットだけを予算削減の対象にして、他の道具のコスト・カットに着手しないのはなぜだろう? もし本当に各高校の予算削減を重要課題と考え、野球にもっと取り組みやすい環境を作ろうという主旨なら、高野連が大会の入場料収入などを各校に分配し、木製バットや練習球の購入費補助をする精度を考えてもいいだろう。そういう努力は一切せず、金属バット導入の理由にだけ「経費節減」を謳うのも、直視すると何だかおかしい。

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最終更新:8/9(水) 11:50
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