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長崎の市長が「被爆地は理解できない」と日本政府を批判した理由とは

8/9(水) 12:49配信

BuzzFeed Japan

1945年8月9日午前11時2分。一発の原子爆弾により、一面が焼け野原となり、7万人以上が亡くなった長崎。72年目のきょう、爆心地にある平和公園で平和祈念式典が開かれた。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

原爆が落ちたあと、人々はどう生きたのか。被爆後の広島を収めた写真たち

「ノーモア ヒバクシャ」

田上富久・長崎市長は「平和宣言」の冒頭、言葉に力を込め、こう続けた。

“この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。“

ひとつの条約とは、7月に国連で採択された核兵器禁止条約だ。

国連に加盟する193カ国中、122カ国が賛成したが、核保有国に加え、日本は交渉にも参加していない。アメリカの「核の傘」に頼っていることが、その大きな理由だ。

核兵器の開発や実験、保有などを禁止しているこの条約は、「使用するとの威嚇」をも否定している。

これは、核兵器を持つことによって戦争を防ぐという考え方「核抑止」のことを指す。日本の頼る「核の傘」そのものだ。

”私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。”

こう条約を評価した田上市長は、「日本政府に訴えます」として、その対応を「被爆地は到底理解できない」と鋭く批判した。

”核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。

唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。”

そのうえで、1945年8月9日午前11時2分のことを、「私は決して忘れません」と語った田上市長。原爆の悲惨さを、こう表現した。

”原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。”

さらに、核兵器禁止条約が「ゴールではない」として、いまだ世界に1万5千もの核兵器があることに触れた。核保有国にその放棄を求め、世界のリーダーたちに、こう語りかけた。

”世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。”

市長のあと、マイクの前に立った安倍晋三首相。非核三原則の堅持を誓ったが、広島市のあいさつと同様、核兵器禁止条約には言及しなかった。

平和宣言の全文は長崎原爆資料館のサイトから閲覧できる。

最終更新:8/9(水) 12:49
BuzzFeed Japan