ここから本文です

源頼朝の渡海ルート探る 真鶴半島-房総半島 9月ヨットで検証航行

8/9(水) 10:16配信

千葉日報オンライン

 平安時代末期、戦いに敗れた源頼朝が真鶴半島から房総半島に舟で渡った海路を解明する「頼朝の房総渡海プロジェクト実行委員会」(安田敬一委員長)が8日、発足した。9月23日から24日にかけ、ヨットで神奈川・真鶴港を出港して館山市や鋸南町の沿岸部を進み、およそ840年前の頼朝の足跡を探る。

 頼朝は1180(治承4)年、石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬から舟で房総半島に逃げ延びた。その後、千葉氏らの援助で勢力を盛り返し鎌倉幕府を開いたことから、渡海は大きなターニングポイントだった。

 千葉氏を研究する元千葉市立郷土博物館館長で実行委員会事務局長の丸井敬司さん(68)によると、歴史書「吾妻鏡」には、頼朝は現在の鋸南町竜島に上陸し、北条氏らが出迎えたと記される。同所の海岸には記念碑が建てられている。しかし「義経記」などには、いまの館山市洲崎に渡ったとする記述があるという。

 丸井さんは「潮の流れから直接鋸南に行くのは難しく、洲崎に行ったと考えられる。北条氏が出迎えたことにするために鋸南にしたのでは」との説を唱える。

 検証は、頼朝の渡海と同時期に12人乗りヨット(全長約11メートル)を航行させ、潮流や風向きを計測しながら当時のルートを探る。1日目は停泊する静岡・熱海から真鶴港を経て約60キロ離れた洲崎沖を目指し、館山・那古漁港に入港。2日目は沿岸部を北上して鋸南・保田漁港に立ち寄り、千葉港に向かう。

 来年は頼朝を助けた千葉市ゆかりの武将・千葉常胤の生誕900年。節目の年に合わせ、検証結果を発表する予定。海路解明に向け安田委員長は「鎌倉幕府につながる頼朝の出発点。歴史的な意味があり、解明されれば面白い」と話し、丸井さんは「自分の目で歴史的事実を確認したい」と意気込む。

 プロジェクト経費50万円は寄付や協賛金で賄う。問い合わせは丸井さん(電話)090(3576)0810。

Yahoo!ニュースからのお知らせ