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【若鷹、あの夏】2010年興南・島袋 大逆転の道中、主将が繰り出した「禁じ手」

8/10(木) 6:02配信

西日本スポーツ

 (2010年 準決勝 興南6-5報徳学園)

 思い返すと、島袋(現ソフトバンク)は今でも笑いがこみ上げてくる。7年前の夏。興南ナインは、甲子園のベンチで顔を見合わせていた。「あいつ、やってるし…」。報徳学園との準決勝。7回、右中間を破る同点三塁打を放った3番・我如古盛次が三塁へ頭から滑り込んだ。次の瞬間だった。

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 島袋「監督から『禁止』って言われてたガッツポーズをしてて。ヒョコッと。ヘッドスライディングをした後で、クイッて。(禁止と)思い出したのか分からないけど、すぐヒュッと下げた」

 我喜屋優監督から「次のプレーを考えろ」「やられたら嫌な気持ちになるだろう」と禁じられていたこと。チームの模範であり続けた主将が忘れるほど、劇的な展開だった。2回終了時点のスコアは0-5。優勝した同年春から甲子園9連勝中の島袋も、ついに打たれた。ここでギブアップにも似た宣言をしたのは、誰あろう我如古だった。

 2回終了後、集合をかけた主将はこう切り出した。「ベスト4で、相手は全国でも名が通ってる報徳学園。しょうがないんじゃないか」。島袋らナインは「そうだよな」「ここまで来たんだから」「しょうがないっしょ」と同調。この開き直りがドラマを生む。

 3回以降、立ち直った島袋が5回、先頭で中前打。三振するまいとノーステップで左腕のスライダーに食らいついた一打が、一挙3得点を呼ぶ。「ホームのクロスプレーが連続でセーフになってるんです。いろんなことが紙一重でした。僕も八代(和真=報徳学園)にスリーベース打たれて…あっ、ツーベースか」

 6回に島袋自身の適時打で1点差とした直後のことだ。「それがサードでタッチアウト。これがセーフで、もう1点取られてたら、分かんなかった」。そして7回、ガッツポーズとおぼしき拳を繰り出した主将も生還し、逆転は成った。

 耳に残るのは聞き慣れたはずの音。「お客さん…アルプスの後押しがすごかった。グラウンドに入ったら、ピィピィピィピィ、指笛が鳴り響いてたのは鮮明に覚えてます」。後日、相手選手から聞く不評が誇らしかった。「みんな言うんですよ。『沖縄の応援の雰囲気、あれマジで、何なん』とか。逆の立場だったら、間違いなく嫌ですね」

 島袋自身、仙台育英の応援席の「タオル回し」が苦手だった。中立層への波及力があった。「僕らが一塁側なら、真ん中よりちょっと一塁側までタオルが回ってる。あれはアウェー感があって、プレッシャーでした」。歴史を彩る数々の大逆転。そうなる要因は、体感として知っている。

 東海大相模との決勝は疲れの見える一二三慎太(阪神-BC石川)を打ち込み、沖縄県勢として初めて深紅の優勝旗を持ち帰った。果ては県民栄誉賞が待っていたが「当時は『表彰してくれるんだ』ぐらいの感想で…」。当時の自分に苦笑しながら、島袋は「おっちゃん」の話を思い出す。

 大阪・住之江の宿舎ホテルは、下層階が商業施設になっていた。1階のアイス売り場で、島袋はよくチョコアイスを求めた。「その売り場のおっちゃんが『松坂(大輔)くんたちの横浜高校も、ここに泊まって優勝したんだよ』って。『そうなんですね~』って話して…」。春夏連覇はその1998年横浜以来だった。

 島袋の甲子園戦績の始まりは2年の春夏、いずれも初戦敗退だった。「最初は『行きたい』だけだったんです。それが負けて『勝ちたい』になって。そのためにどうすればいいか。練習一つの意識も変えてくれた」。中大を経てプロ3年目、1軍登板まだ2試合。甲子園があったから、ここから上を向いていける。

西日本スポーツ

最終更新:8/10(木) 6:02
西日本スポーツ