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【かながわ美の手帖・番外編】鎌倉・吉兆庵美術館

8/11(金) 7:55配信

産経新聞

 □「陶芸の魔術師 宮川香山」

 ■横浜空襲に消えた名窯 世界魅了した超絶技巧 

 明治期、類いまれな陶芸技術で「真葛(まくず)焼」の名を世界に知らしめた陶工、初代宮川香山(1842~1916年)。4代にわたって制作された陶磁器約70点を集めた企画展「陶芸の魔術師 宮川香山 -浮彫と彩色の美-」が鎌倉・吉兆庵美術館で開かれている。

 昭和20年の横浜大空襲で失われた「幻の名窯」が生み出し、海外に四散した数々の作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会だ。

 陶器の縁にワタリガニが張りついている。角度を変えると下にもう1匹隠れているのが見える。飛び出た黒い目、絡み合うハサミ、甲羅の緻密な模様…いまにも泡を吹いて走り出しそうなほど写実的だ。陶器でカニをこれほど精巧に再現できることに、見る者はみな目を見開く。

 ◆謎多い製陶技術

 この作品は初代香山の晩年の大作「真葛窯変釉蟹彫刻壷花活」。飛び抜けた技術を指す「超絶技巧」の芸術品を紹介する場面では、必ずといっていいほど名前があがるという。

 菊の花柄の陶器「古清水意真葛窯水指」も高度な技術が駆使されている。近寄って見ると、側面に無数の穴(透かし)があき、花や枝をかたどっている。透かしの向こうには、さらにもう一つ「容器」がある二重構造が確認できる。

 同館学芸員の岡田直子は「これだけの数の透かしを入れると窯の中で割れてしまう。二重構造も一体どう作られたのか。技術が伝承されず、香山作品は謎が多い」という。

 宮川家は京都で窯業を営んでいたが、初代香山が開港後の横浜に拠点を移し、海外向けに薩摩焼を制作した。欧米のジャポニスム(日本趣味)に合わせて売り込むためだ。ただ、香山は彫刻による装飾を強めて金の多用をやめるなど、薩摩焼に独自性を加えた。

 ◆器用に作風変化

 立体的で写実的な香山作品は海外で評判となり、「マクズウェア」と呼ばれて名声を得た。米国や豪州などの万国博覧会では数々の賞を受賞した。

 ただ香山は40代以降、作風をがらりと変える。海外の好みの変化に合わせ、過度な装飾をやめ、シンプルなデザインに変えたのだ。岡田は「流行を見ながら作風を変えられるのも香山の器用さの表れだ」と話す。

 細部まで丁寧な彫刻を施す作品は、後代で進化を遂げた。3代目香山の「黄釉色染付鳩之画花瓶」は、色づけされた彫刻のハトと、花瓶に直接描かれたハトが遠近感を出している。

 初代香山が釉薬(ゆうやく)の研究を重ねて作り出した数々の新色も引き継がれ、パステル調の美しい色合いは真葛焼の特徴となった。

 真葛焼は海外向けに制作していたため、国内に残る作品は多くない。近年、真葛焼の芸術性が注目され、海外に散らばった作品を集める動きがみられるという。岡田は「横浜生まれの卓越した技術。当時の欧米を魅了した芸術作品を見に来ていただきたい」と話し、来館を呼びかけている。=敬称略(外崎晃彦)

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 企画展「陶芸の魔術師 宮川香山 -浮彫と彩色の美-」は鎌倉・吉兆庵美術館(鎌倉市小町2の9の1)で10月1日まで。午前10時から午後5時(入館は午後4時半まで)。祝日を除く第1・第3月曜日休館。入館料は一般600円ほか。問い合わせは同館((電)0467・23・2788)。

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【用語解説】初代宮川香山

 江戸時代の天保13年から大正5年。明治時代の日本を代表する陶工。高浮彫、真葛焼の創始者。陶工・真葛宮川長造の四男として京都で生まれる。19歳のとき、父と兄の死後、家を継ぎ、色絵陶器や磁器を制作。その腕が評判を呼び、幕府から御所献納の品を依頼される。明治3(1870)年、横浜に輸出用の陶磁器を作る工房・真葛窯を開く。29年、帝室技芸員拝命。74歳で死去。

最終更新:8/11(金) 7:55
産経新聞