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<福島県大熊町>震災から6年5か月~津波に流された娘・汐凪(ゆうな)を捜して(1)知ってほしい。原発の町の少女のこと 【尾崎孝史】

8/11(金) 6:20配信

アジアプレス・ネットワーク

◆行方不明者2000人以上、被災地では今も行方不明の家族を探す人々の姿が

東日本大震災から6年と5カ月のきょう、被災地ではいまだ行方不明となっている家族を捜す人々の姿がある。警察庁の発表によると行方不明者の数は6月9日現在2550人。時が過ぎるにしたがって発見は困難になっている。

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昨年12月、海岸付近のがれきの中から遺骨が見つかった少女がいる。福島県大熊町の木村汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)。震災の日、海沿いの自宅にいたところを大津波に流された。そして、直後に起きた原発事故によって捜索は中断に追い込まれ、救出の可能性が断たれてしまった。

発見された汐凪さんの遺骨は、まだ5分の1ほどだ。父の紀夫さんは「すべての骨を見つけてやりたい」と、避難先の長野県から、帰還困難区域のなかにある自宅に通い捜索を続けている。

原発の町の少女・汐凪さんのことを初めて知った、というあなたに届けたい家族の物語。(尾崎孝史)

◆「家族三人が行方不明です」

去年の大晦日、福島県の浜通りにある建物から一組の家族が現れた。かつて、温泉を備えた「道の駅」として親しまれた施設は、6年前の原発事故を受け営業停止。翌年10月から、双葉警察署の臨時庁舎として利用されている。

白布に包まれた箱を抱えているのは木村舞雪さん(16)。箱の中に入っているのは妹、汐凪さんの下顎と歯だ。「歯に治療した跡があったので、汐凪だとわかりました」と話してくれた。

父の木村紀夫さん(51)は骨箱に入った次女を助手席に乗せ、シートベルトをかけた。原発事故によって救出の可能性が絶たれてしまった娘との再会。あてどなく捜し続けた2123日の空白を埋める家族旅行のようなドライブが始まった。

原発の町最後の行方不明者、小学一年生の木村汐凪さん(当時7歳)のことを知ったのは、家族が作った捜索チラシがきっかけだった。

「捜しています !! 大熊町で家族三人が行方不明です」

南会津町役場の掲示板に貼られていたチラシには、スナップ写真が組み込まれていた。精悍な顔つきの男性。おだやかに微笑む女性。そして、愛くるしい表情の女の子。私はとっさに、「これは大変なことだ」と思った。震災翌日に全町避難の指示が出され、バリケードで閉ざされた大熊町。そこで救助を待つ人がいるというのだから。

チラシに記してあった連絡先にダイアルすると、「今日は5時過ぎに避難所へ戻ります」と、張りのある男性の声が返ってきた。それが汐凪さんの父・木村紀夫さんとの出会いだった。

避難所には紀夫さんの母・巴さんと長女の舞雪さんもいた。紀夫さんのひげは伸び、疲労の蓄積を物語っていた。「一刻も早く家族の捜索に入りたいのですが、町の許可が降りなくて」とあせっている様子だった。

私たちの想像をはるかに超える放射能汚染という厚い壁。三世代6人で穏やかに暮らしていた家族を襲った悲劇は、あの日突然やってきた。(つづく)

(※初出:岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史(おざき たかし) 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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