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始めと終わりで“運命”は変わる―― ナガオカ「R1」レビュー

8/12(土) 17:00配信

アスキー

見た目にも美しい「ルビーのイヤフォン」こと、ナガオカ「R1」。その音はBA1基とは思えないほど生々しく、ルビー以上に美しい。

“ルビーのイヤフォン”はレコード針由来
 7月に開催された秋葉原のポタフェスで音を聴いた時、そのあまりに広帯域で自然な音に僕は完全に虜になった。このイヤフォン、ハッキリ言ってスゴい。
 
 デジタルオーディオ世代にとってナガオカというメーカーはあまり耳馴染みがないものだろうか。高品質なレコード針を作り続けて数十年、今ではアナログオーディオを支える世界でも数少ない技術屋集団だ。レコードはビニールの円盤に刻まれた微細な振幅の溝を針でなぞり、そのわずかな動きをカートリッジのコイルで電気信号に変換するという、文字通り“アナログ”な方法で音を鳴らしている。
 ほんのささいな振動も出音に影響するため、カートリッジの方式からプレーヤーの台座、トーンアームの素材に至るまで、昔から正確な振動が得られるよう様々な試行錯誤が繰り返されてきた。針の素材もそのひとつで、金属はもちろん、より硬いダイヤモンドなどの鉱物が素材として採用された。
 イヤフォンの話題にレコードの技術を語ったのには訳がある。今回取り上げる「R1」最大の特徴は低音増強用の音響フィルターに人工ルビーを使ったことで、これがレコード針の生産加工技術に由来するものだ。硬度だけならばダイヤモンドの方が一段上だが、ナガオカによるとルビー材はパーツの共振を抑える効果があるという。それに鮮やかな紅色は見た目にも美しく、イヤフォンのアイコンとしてこの上ない素材だ。
 
 ドライバーは1磁極型シングルBAユニットで、再生周波数帯域は4~90kHz。かなり広い帯域を上から下までワンドライバーでまかなう点は見事だ。ハウジングはアルミのしっかりしたつくりで、カラーはシルバーとブラックの2色。ご丁寧にも音響フィルターが外から見えるようにスリットが入っているが、光にかざさないとルビーらしい紅色は出ず、あまり光のない場所では暗く見えるのが少し残念なところ。
 ケーブルは銀メッキされた4N銅と気合の入ったものだが、固定式のアンバランスで断線のリスクが高い上に、バランス駆動にも対応できない。価格がほぼ5万円というイマドキの高級イヤフォンなので、特別な理由がない限りはリケーブルに対応してもらいたかった。
 
 その他パッケージには、シリコンイヤーピースが2サイズとコンプライ製のLサイズフォームイヤーピースが1セット、耳垢フィルター交換キット、国産牛革のオリジナルポーチが付属する。化粧箱のつくりと相まって、実に高級な雰囲気を醸し出している。カラーバリエーションはブラックとシルバーの2色だ。
 
何と自然な音なんだ!
 肝心の音はどうだろうか、まずは「Hotel California」「Waltz for Debby」「Don’t know why」の各定番曲で概要を確認してみる。僕が感じたこのイヤフォンの“スゴさ”は、“音の自然さ”、“定位の良さ”、“音の弾み感”だ。
 
 まず音色が決してカリカリ音ではなく、それでいて恐ろしく自然というところに驚かされる。Hotel Californiaはギターの撥弦のニュアンスがオーディオ的な聴きどころのひとつだが、これが極めてナチュラルで爪弾きの様子をありありと感じる。その他の楽器でも、例えば3分40秒辺りからのドラムセットのハイハットの存在感が凄まじい。叩き方と言うより、スティックの落とし方がありありと見えるほどだ。
 Waltz for Debbyでもピアノの自然さがちょっと尋常じゃない。まるでしっかりと組まれたレコードのような存在感があり、一定して聴こえるはずのホワイトノイズがちっとも気にならないどころか、それが良い味となってオーディオ表現の一部に聴こえる。さらに冒頭のピアノソロ終わりからドラムセットが入る部分では、スネアのあまりの自然さにゾワッとした。イヤフォンでこんな体験をしたことは久しく無い。
 ノラ・ジョーンズのヴォーカルも柔らかくてトゲが無く、そして恐ろしく自然だ。マイクの存在がかなり希薄に感じる。とにかく上から下まで強調感が見られない。どの帯域もまんべんなく良く鳴るというのが第一の特徴だ。
 
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今回は「Hotel California」の冒頭から鳥肌が立つ思いがした。悪い意味での高音の鋭さや音の強さが無く、でも音が決してボヤけない。まるで生演奏、あるいは見事に“演奏”された上質なレコードのような生々しさが聴かれた
 定位の良さも素晴らしい。Hotel CaliforniaでもDon’t know whyでも、ヴォーカルのガチッと真ん中に定位していて、特にDon’t know whyでは冒頭からレフトに定位しているギターの存在感が、そこらのイヤフォンとは一線を画している。自然な音のイヤフォン、存在感のあるイヤフォンは世の中にままあれど、その両方を兼ね備えたイヤフォンというのは、ちょっと僕の記憶に無い。
 音の見通しと分離が良い。Waltz for Debbyでは中間の弦ベソロで、弦べの存在感を保ったままピアノとセットの存在が消えない。これは解像感の高さに由来する部分も大きいだろうが、あるべきところ、あって欲しいところに音がある。
 
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「Waltz for Debby」でも生々しさは健在。前奏からドラムセットが入る瞬間、あまりの自然さにゾワリとした。ホワイトノイズさえも音楽の大切なスパイスとして感じる
 そして音の弾み感だが、これはギターやベースの音が踊るように快活に感じられる。Hotel Californiaのエレキギターは撥弦ポイントが明確で、オーディオ的に言うと出音がハッキリしている。Waltz for DebbyとDon’t know whyはダブルベースのピチカートが実にナチュラルで、音楽そのものが活き活きとしている。
 特にDon’t know whyは豊かなマルカート(“ポン”と弾む音)感がノラ・ジョーンズのゆったりしたヴォーカルとの対比となり、音楽世界に着く鮮やかなコントラストが印象的だ。「低音が楽しい」とはこういうことを言うのだろう。
 
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ノラ・ジョーンズのスマッシュ・ヒットチューン「Don’t know why」が収録されたアルバム「Come away with me」。見通しのよいヴォーカルやベース、粒の立ったドラムセットなど、オーディオ的な聴きどころも満載。それにしても、R1で聴くと定位の良さに驚かされる
演奏を丸裸にするイヤフォン
 冒頭にも述べたが、このイヤフォン、ハッキリ言ってスゴい。出てくる音がとてつもなく自然で脚色が無く、音源に収められた表現を余すところなく出し切るような印象を受けた。
 「このような音が最も楽しめる音楽は何だだろうか」と考えを巡らせた僕の答えは“音楽を芸術的に受け取る”という聴き方だ。アーティキュレーション(音符のニュアンス)やダイナミクス、テンポなど、音を出すことに対するあらゆる動作を用いて“言葉のない物語を読み取る”ということで、平たく言えば芸術的な姿勢で音楽に向き合うというスタイルだ。
 
 今回はカルロス・クライバー/ウィーンフィルのベートーヴェン「交響曲第5番“運命”」の第1楽章、それにチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」第1楽章で演奏家の聴き比べに挑もうと思う。
 
クライバーの運命は「ガガガガーン」から「ワワワワァー」へ
 あらゆるクラシック音楽の中でも屈指の名曲“運命”、「ジャジャジャジャーン」という“運命の扉を叩く音”は誰もが耳にしたことがあるだろう。
 さて、クライバー/ウィーンフィルの“運命の扉”だが、ストリングアンサンブルの低音セクションが音を激しく立てており、特に冒頭は強烈なインパクトとエネルギーを伴っている。まるで殴りつけるような荒々しさで、その音は「ジャジャジャジャーン」ではなく「ガガガガーン」だ。この主題は弦低音が事あるごとに繰り返し奏でるが、それらはいずれも冒頭に従うように「ガガガガーン」。もしこれが「ジャジャジャジャーン」だとすると、豪華さや広がりといったニュアンスが音に出てしまい、クライバーが求めたであろう苛烈さが表現できないのである。
 
 そんな主題の表情が変わるのは中間部、トゥッティ(全員が同じリズムを奏でること)で主題を奏した後にオーボエと続くところ。この辺りから明らかに弦低音が奏でる主題の音色が、丸みと深い響きのニュアンスに変わる。擬音で表すと「ガガガガーン」が「ワワワワァー」といった響きになる。
 つまりこのトゥッティが転換点となり、運命がどんどん広がりを見せる。最後のトゥッティではメジャーコードで終わる響きが示すように、もう完全に“音の深み”が低音を支配している。それは冒頭のバリバリという荒々しさとは別物で、音を通して作品が前向きになってゆく様を見事に表現しているのだ。
 
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ベートーヴェン:交響曲第5番&第7番
ユリア・フィッシャーとアンネ=ゾフィー・ムター
同じチャイコフスキーでもこんなに表情が違う!
 チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」は、ジュネーブの湖畔でチャイコフスキーが療養している期間に書かれた曲で、今では流麗なメロディーで名高いが、完成当初は酷評された。第1楽章は民族調の華やかな旋律とは裏腹の焦燥感や必死さ、憂鬱感といったものが作品世界の奥行きをグッと深める。難曲としても有名なこの曲をユリア・フィッシャー/クライツベルク/ロシア・ナショナル管と、アンネ=ゾフィー・ムター/アンドレ・プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニーで聴き分けてみたい。
 まずユリア・フィッシャー盤だが、曲の入りはソロリという感じで、まるで様子見をしているようだ。連符でもお行儀よく性格なテンポを刻んでいて、連符のグリッサンドがサラリと流れる。良く言えば流麗、悪く言えばアッサリしていて味気ない。その後も度々出てくる三連符は、どことなく必至にテンポを守ろうとしているようで、お陰でオケは無理なく楽そうに演奏している。
 カデンツァでも、どことなくおっかなびっくりな印象が拭えず、腫れ物を触るように「そろ~りそろ~り」と弾いている。ハイトーンでフォルテになると一瞬殻を破ろうと頑張るが、そこから音が降りてゆくとと、テンションも一緒に落ち着く。その響きはとても実直でスッキリとしており、その分だけハイトーンの真っ直ぐさが良い意味で突き刺さる。
 
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ユリア・フィッシャー/クライツベルク/ロシア・ナショナル管のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」。音は高精細で、かなり生々しい。ユリア・フィッシャーの演奏は丁寧で正確な、お行儀のよいあっさり味
 ではアンネ=ゾフィー・ムター盤はというと、ウィーンフィルのテンポ自体がゆっくり目、ヴァイオリンソロは入りからビブラートを朗々と響かせる。ムターのヴァイオリンはこの強烈なビブラートと、音階の切れ目が無いタイ(高さの違う音を滑らかに奏でること)が特徴で、この演奏でもかなり滑らかに音がつながっている。
 冒頭の主題の後に来る急激なテンポアップを経ても、全体的に色気たっぷりの滑らかな演奏だ。特に倍音の豊かな低音がかなり太く、ゆったりと奏でるところではビブラートをしっかり利かせ、タイの滑らかさと相まって妖艶さが増す。そこへ楽器自体の響きの深さも加わり、「ヴァイオリンの女王」と呼ばれる所以の音になる。しかしその中でカツッと音を切るところがあり、これでメリハリを効かせている。こういった部分にムターの技と美意識を感じる。
 続く演奏はテンポも音もかなり揺れ、アーティキュレーションも結構ハッキリと奏で分けている。普段がテヌート(「ダー」と幅いっぱいまで伸ばす音)気味な分だけ、意図的なスタッカート(「カッ」と短く刻む音)による雰囲気の転換効果が高い。
 この演奏最大の聴きどころは、中間部のドルチェ(「かわいらしく」の意味)だ。スタッカートによる短めの音と揺れるテンポでおてんば娘のようなドルチェを存分に演出したかと思うと、その後急激な連符で楽曲の雰囲気をガラリと変え、それに続いて転がり落ちるようにオケが転調する。
 それに続くカデンツァは身悶えするような響きのハイトーンから一転して緊張感漂うピアニッシモになる。高音を朗々と歌ってから転落してゆく様の焦燥感が実に見事だ。全体的に強烈な倍音が乗っていて、ココロを揺さぶられる思いがする。僕が思うに、ムターの音の深さが最も聴き取りやすい部分だ。
 
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一方「ヴァイオリンの女王」ことアンネ=ゾフィー・ムターのチャイコフスキーは、かなりの濃口なもの。極太の音や強烈なビブラートなど、音と音楽の世界にグイグイと引き込む演奏だ。楽譜の再現ではなく、音符の流れに刻まれた想いを徹底的に引き出そうとするように聴こえる
 2つの演奏を総括すると、ユリア・フィッシャー盤は「音が良い」。一方のアンネ=ゾフィー・ムター盤は「音が良い、演奏は素晴らしい」。一度聴いて「キレイだなぁ」と感じるのがユリアの演奏だとすると、ムターは聴けば聴くほど奥深さを感じる。
 ユリア・フィッシャーは全体的に品の良いお“嬢さんの演奏”で、安心してゆったりと聴いていられる。悪く言えば教科書的で若い。少なくともユリアの演奏に「焦燥感」「必死さ」といった影の部分は感じられない。コレに対してアンネ=ゾフィー・ムターは脳裏にこびりついて離れず、何度も音楽の世界に溺れたくなる演奏だ。特にハイトーンは身悶えして昇天する響きで、これには“彼女の”“上質な”高音以外ではほとんど聴かれない“ミューズの微笑み”が宿る。
 それにしても、これほど自由奔放なムターにバッチリ合わせるウィーンフィルも流石だ。メトロノーム的な意味では正確さに欠けるが、人間の感情にフィットするという意味では驚異的に合っている。これがベルリン・フィルと違うところで、タテが合っているとかズレているとか、そういう技巧的な範疇を越えた部分に、作品世界のまとまりや不思議な説得力といったものが、ウィーンフィルにはある。
 
R1は演奏を自在に描き分ける高い実力の持ち主
 重要なのは、「溺れたくなる演奏」をキチンと再生できているということだ。演奏が良くても再生でスポイルされてはダメだし、再生が良くても演奏がダメならば意味がない。イヤフォンが受け持つのは再生の方で、R1の場合は、例えば高音から低音まで音色がブレずにしっかりと出ているとか、軽やかで反応がよく、ハイスピードの音が出るとか、音源やプレーヤーが要求したパワーをキチンと音にするとかいったものだ。
 今回のレビューで言うと、Waltz for Debbyと“運命”の低音は明らかに質が違う。前者は音楽を進める「ポンポン」と軽やかなもので、後者は「ガガガガーン」の芯を通す荒々しいもの。この描き分けを様々な楽曲の音域でやってのけるのがR1のスゴさだ。音楽の演奏そのものに物語を見出す、そんな聴き方をしたいなら、是非ともこのイヤフォンを試してみてほしい。あるいは演奏の練習としてデモ音源を聴く時、このイヤフォンを使えば思わぬ発見が得られるかもしれない。
 
 
文● 天野透/ASCII

最終更新:8/12(土) 17:00
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