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日本ジャズ界“レジェンド”渡辺貞夫さん、80歳超えて響かせるサックス「ライブが生きがい」

8/12(土) 16:56配信

夕刊フジ

 80歳を超えてなお現役であり続ける日本ジャズ界の“レジェンド”だ。

 「ライブが僕の生きがいですからね。ステージにしゃんと立てるよう、自分なりの体作りに努めています。朝と夕方に散歩して、公園でストレッチしたりね。年を重ねると足腰が弱くなりますから、しっかりと全身を使えるようにしないといけません」

 取材日当日も「朝4時から犬を連れて散歩してきましたよ」と笑う。普段の心がけのたまものか、その目は今もなおエネルギーに満ちている。

 現在はジャズの祭典「第16回東京JAZZ」(9月1~3日)の準備に余念がない。デイヴ・グルーシン、リー・リトナー、ピーター・アースキン、トム・ケネディという豪華メンバーを引き連れて最終日を飾る。「気心知れた連中がみんな来るので、楽しいステージになるでしょうね」とニヤリ。

 デイヴ・グルーシンとは“ナベサダ”ブームが起きるきっかけとなったアルバム「カリフォルニア・シャワー」など、長年にわたってコラボレーションしてきた間柄だ。昨年12月に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われた「クリスマス・ギフト」コンサートでも共演した。

 この公演は、1980年に日本のジャズ奏者として初めて実現させた日本武道館コンサートの新生版。3日間開催で3万人の観客を動員した歴史的な武道館公演はアルバム「ハウズ・エヴリシング」となり、世界中にその名を知らしめた。

 「100人のシンフォニーオーケストラにオールアメリカンのリズムセクション。バブルの時代というのもありますが、今やろうとしても望めない編成でしたね」

 新生版では編成をビッグバンド形式に変えて臨んだ。今年5月にはその模様を収めたライブアルバム「アンコール!」をリリース。ただ、「いざレコーディングとなるとみんな意気込んでしまって。ちょっと自分としては悔いが残るできだったかな」とポツリ。完成度へのこだわりは半端ではない。

 「ハウズ・エヴリシング」のインパクトは、「いまだにアフリカや東南アジアに行くと、この中のレパートリーがリクエストされます」というほどのものだった。本場のジャズ理論を学ぶために29歳で渡米して以降、レコーディングやツアーなどで数多くの国々を訪れているが、やはり音楽と楽器はコミュニケーションツールに最適なようだ。

 「海外への旅はプライベートの場合もありますが、たいがい仕事。それでも現地の人々の生活に触れることはやはり刺激になります。厳しい状況下でも明るく生きる姿勢には感銘を受けますね」

 サックスとの出合いは高校時代にまでさかのぼる。卒業後に「2年間だけ好きなことをさせてくれ」と両親に懇願し上京。現在へと続く音楽生活はそこからスタートした。

 「楽器を持っているミュージシャンも少ない時代でしたし、ダンスホールとか仕事は結構ありました。進駐軍のキャンプや、接収されていた場所がたくさんありましたからね。トラックに乗せられて行くんですが、まだまだ道路が舗装されていなくて、到着するころには土埃だらけになってました」

 もちろん、当時は後にサックス奏者としてトップに君臨することなど知るよしもない。

 「本当は2年たったら実家の家業を継ぐつもりだったんですよ。音楽に専念できたのは、出征していた兄が無事に帰ってきて継いでくれたからです」

 もし後の“世界のナベサダ”が本当に故郷に戻っていたとしたら、現在までの日本ジャズ界の発展は望めなかっただろう。親に約束した「2年間」の音楽生活は、2020年の東京五輪開催時に約70年となる。(ペン・磯西賢 カメラ・古厩正樹)

 ■渡辺貞夫(わたなべ・さだお) サックス奏者。1933年2月1日生まれ。84歳。栃木県出身。51年に上京して音楽活動をスタート。アルトサックス・プレイヤーとして故ジョージ川口さんのバンドなどを経て、61年に初のリーダーアルバム『渡辺貞夫』を発表。62年には米国ボストンのバークリー音楽院に留学。65年の帰国後、日本のジャズ界を牽引する存在に。77年の『渡辺貞夫リサイタル』が芸術祭大賞を受賞。デイヴ・グルーシンらと制作した78年のフュージョン・アルバム『カリフォルニア・シャワー』はジャズ界では空前の大ヒット作となった。70~80年代は資生堂「ブラバス」やヤマハ「タウニー」などのテレビCMでも活躍。95年に紫綬褒章受章。2005年に旭日小綬章を受章した。

最終更新:8/12(土) 16:56
夕刊フジ