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右目失明、自ら志願した三塁コーチ 「最後は報われた」

8/12(土) 20:20配信

朝日新聞デジタル

(12日、高校野球 日本文理9―5鳴門渦潮)

 12日の第2試合で日本文理(新潟)に9―5で敗れた鳴門渦潮(徳島)の三塁コーチ、竹内虎太郎(こたろう)君(3年)は右目が見えない。練習中のけがで視力を失ったが、家族や仲間の支えで復帰。大観衆の舞台に立った。

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 5点を追う四回、2死一塁の場面で、打球がセンター前に転がる。竹内君は外野手の捕球体勢が崩れたのを確認すると、両手を大きく回した。一塁走者の奥直人君(3年)は「三塁でストップかと思ったが、竹内が回すなら」と必死で駆け抜ける。セーフ。竹内君には確信があった。試合前、相手のシートノックを観察し、「内外野の連係に弱点あり」と見ていたからだ。

 2015年12月。練習中に仲間の打ち損じた球が右目を直撃した。世界が白黒に映った後、今度は全てが真っ赤になった。「何が起きたか分からなかった」

 救急搬送され、徳島市内の病院で手術を2回受けた。退院直前、病院内の階段を下りようとすると、段差が分からず足を踏み外した。その時、右目の光を失ったことに気付いた。「この先どうなるんかな」

 退院までの約2週間。森恭仁監督(50)は大みそかも元日も、毎日見舞いに訪れ声をかけてくれた。チームメートからは、「また一緒に野球しような」と寄せ書きをもらった。「野球部に戻れるかな」と不安を漏らすと、両親は笑顔で「大丈夫」と励ましてくれた。

 16年2月末、練習に戻ったが、けがのことを強く思い出し、球が怖かった。仲間に手伝ってもらい、手で転がしてもらった球を捕る練習から始めた。打撃マシンの球をネット裏から見て目を慣らした。

 外野手としてのプレーはこなせるまでになったが、仲間との差は縮まらない。「自分に何ができるんだ」。昨夏、新チームが発足すると三塁コーチを志願した。最初は本塁に行かせた走者がアウトになるなどミスがあったが、全ての公式戦で三塁コーチを務め、1年間かけて技術を磨いた。森監督は「状況判断能力もあり、彼に任せている」と信頼する。

 サングラスをかけるなどしてグラウンドに立っていたが、7月義眼を入れた。

 たどり着いた甲子園では、勝利とはならず、試合後は涙が止まらなかった。それでも、しっかりとした口調で言った。「大勢の観客で、最高の舞台でした。2年前の自分には、くじけず頑張れば、最後は報われると言ってあげたい」(佐藤祐生)

朝日新聞社