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戦争今こそ伝えねば 本巣市の藤江さん、体験を紙芝居に

8/13(日) 8:36配信

岐阜新聞Web

 「思い出すだけでもつらいけど、今こそ伝えていかないといけない」。岐阜県本巣市政田の藤江敏夫さん(76)が、幼少期に経験した岐阜空襲や、戦後の貧しい生活などの戦時体験を紙芝居にまとめた。これまで「語り部」としては特に活動をしてこなかったが、加齢に伴う自身の体力の衰えに加え、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の成立などを受け、「社会が戦争に近づいている心配がある」と危惧。子どもたちに読み聞かせ、戦争の悲惨さを伝えていく決意をした。
 藤江さんは岐阜市の中心部で育った。幼かったためか、岐阜空襲については、熱い火の粉や一緒に逃げる母の姿など、断片的にしか覚えていない。強く記憶に残っているのは、「常に飢えていた」と一家で養老郡養老町に転居してからの戦後の生活。紙芝居では「戦後の厳しさやみじめさにも焦点を当てた」。
 刻んだ雑草やサツマイモのつるを煮て、両親と5人のきょうだいで分け合う日々。あまりの貧しさからか、生活が持ち直しても家族の間で戦争の話は禁句のようになっていたという。「苦しく、つらい経験を誰も思い出したくなかったのだろう」。東京で就職して定年まで勤めたが、周囲に戦争の話は一切しなかった。
 転機となったのは、戦後70年の節目に新聞で報じられた語り部たち。「いろいろな経験をした人が伝えようと頑張っているのに、自分は」と、もやもやが募った。
 時を同じくして、安全保障関連法の成立や憲法改正の論議が進んだ。「自分のような経験者がずっと黙ったままだと、戦争を『よし』としてしまうことに加担することになる。草の根活動で、子どもたちに戦争の恐ろしさを伝えることはできる」。知人に空襲直後のバラックでの生活などのイメージを伝えて13枚の絵を描いてもらい、紙芝居を作った。
 記憶の薄い空襲の代わりに、空腹だった戦後の暮らしを強調した。「ボクタチハ ワタシタチハ オナカガ ペコゝデス」と書いた立て札を手に、子どもたちが恵みを求めて歩く場面を盛り込んだ。
 「早く、当時の自分と同世代の子どもたちに読んであげたい。もう少し早く伝える大切さに気付けばよかった」。読み聞かせの練習を積みながら、依頼に備えている。

岐阜新聞社

最終更新:8/13(日) 13:13
岐阜新聞Web