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「母とアスリート -瀬立キヌ子とモニカ-」

8/14(月) 9:32配信

カンパラプレス

 瀬立モニカは、15歳のときに外傷性脳損傷という障害を負った。そのわずか3年後。パラカヌー選手としてリオデジャネイロパラリンピックに出場し、世界8位に輝いた。その会場に、ひときわ目立っていた女性がいた。モニカの母、キヌ子だ。周囲のだれよりも派手な格好をし、だれよりも声を張り上げてモニカを応援する。その姿に心を打たれたのか、いつしか会場中にはモニカコールが鳴り響いていた。

私のために、自立してもらう。

 モニカは、子どものころからスポーツが大好きでした。テニス、バスケ、カヌー。いろいろやってましたね。水泳も3歳から習い始めました。保育園の帰りに、よく街中にある電柱にちゃちゃちゃと登って、上まで行くんですよ。さすがにそれはね、ちょっと恥ずかしいからやめてと思いましたけれど(笑)。

 でも、しつけは厳しくやりましたね。あとは文武両道を目指した。スポーツやるということは、勉強もやらないとダメなんだよ、という話は常にしてきて。塾も行きました。私が働いていたので、基本どこでも1人で行ってもらって。なんてことはない。将来私が困らないように自立させてたんです。つまり、わりといい加減ではありました。

ピンチには、とことん寄り添う。

 モニカが高1のとき、学校から電話がかかってきました。「モニカさんがケガしたからすぐ来てください」と。体育の授業で転倒して、足をケガしてそのまますぐに入院。そんなに深刻だと思ってなかったんですけど、2、3日経ってから「ママ、立てないんだよね」と言うから「え、なんで?」とあわてて。

 その後入院してリハビリしても、足に麻痺があって起き上がることができない。「体幹機能障害」と診断されるまで2カ月ぐらいかかりました。どうしてうちの子だけが、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって、何度も思いましたね。でも、やっぱり子どもの前で涙は見せられないから、もう絶対泣くことだけはやらないでおこうと思って。

 退院してからは、もっと大変でした。お風呂もトイレも、あとは学校や駅への移動も、毎朝車椅子を押して行ったんですよ。だんだん移動も上手になってきて、ある日、「ママ、一人で大丈夫だからもう車椅子押さなくてもいいよ」と言われました。そこから徐々にだけどね、モニカが一人でできることも増えました。生活が安定するまでは、とにかく寄り添いました。

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最終更新:8/14(月) 10:20
カンパラプレス