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奄美の戦争、6人が証言 ヤフーが「本土防衛、最前線の島」配信 地元南海日日協力

8/14(月) 13:00配信

南海日日新聞

 戦争の記憶と記録をインターネット上のコンテンツで残す取り組みを進めているIT大手のヤフー(本社・東京)は終戦の日(15日)を前に10日、「本土防衛の最前線になった島々~奄美群島空襲」(動画)の配信を始めた。戦時中から戦後の間、奄美が置かれた厳しい状況を6人の証言を基に浮き彫りにした。取材、撮影は南海日日新聞社が協力した。

 動画はヤフーが全国各地で収録している「未来に残す戦争の記憶」奄美群島編。渡哲一さん(瀬戸内町)=終戦当時(11)=と、岡村隆博さん(天城町)=同(9)、渡久子さん(瀬戸内町)=同(15)、先山道澄さん(和泊町)=同(13)、大山澄夫さん(知名町)=同(11)、岡登美江さん(奄美市名瀬)=同(8)=が証言した。

 奄美の空襲は1944年10月10日から終戦(45年8月15日)まで。461人が死亡し、299人が負傷した。米軍が沖縄に上陸作戦を進めた戦争末期の奄美は本土防衛の最前線となった。空襲は日常的になり、奄美近海では疎開船が相次いで撃沈される悲劇が起きた。

 先山さんは45年3月1日、友人を失った。友人は中学校に進学するため、県本土に向かう木造船に乗ったところを米軍機の攻撃を受け、死亡した。先山さんは月に一度は必ず、高台にある慰霊塔に手を合わせる。「私が何も話さなかったら、誰も話してくれる人はいないかもしれない」(先山さん)。

 岡さんは鹿児島市での空襲体験、奄美から本土への密航の体験、日本復帰(53年12月)の喜びを語った。渡哲一さん、渡久子さん、岡村さん、大山さんの話も胸を打つ。

 奄美は戦後、本土と行政分離された上、米軍の投資は基地を建設した沖縄に集中したため、食糧不足は深刻になり、地域の疲弊は一層、進んだ。動画は戦争の悲惨さと併わせて米軍政下の奄美の実情を伝えてくれる。

 動画のアドレスはhttps://wararchive.yahoo.co.jp/

奄美の南海日日新聞

最終更新:8/14(月) 13:00
南海日日新聞