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あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶

2017/8/15(火) 6:10配信

BuzzFeed Japan

妹と母を殺めた罪悪感から、いままでずっと、逃れることができなかった。いまから71年前の夏。11歳の僕はふたりに、毒薬を飲ませたーー。これまでずっと語ることができなかった、ある男性の「戦後」の記憶だ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

あの定番メニューって戦争がきっかけで生まれたの?

「僕の戦争は、8月15日よりあとに始まったんです」

京都市に暮らす村上敏明さん(82)は、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。1934(昭和9)年、いまの京都府亀岡市生まれ。満州からの引揚者だ。

「妹と母を捨てて、僕が生き残っているようなものなんですよ」

ぽつり、ぽつりと言葉を探しながら。村上さんは自らの記憶を、ゆっくりと紐解き始めた。

村上さんは1938年、4歳のころ、両親と弟の4人で満州に移住した。市役所に務めていた父親が、「給料が2倍になる」として選んだ新天地だった。

村上さんが生まれた年に、中国東北部に成立した人工国家、満州。

満蒙開拓団やビジネスマンたち……。父親と同じように、「新国家」での成功を夢見て多くの日本人が旅立っていった。数年後、不幸な未来が待っていることも知らずに、だ。

「新京は賑やかでしたね。繁華街にあるアパートで、『日本橋通り』にも近かった。皇帝・溥儀が家の前を行進して、母親に怒られながらもこっそり覗いたことがありましたよ」

満州国の首都だった新京などで暮らしていた村上さん一家。父親は「国際運輸株式会社」という運送会社に勤めており、その転勤に伴い、1942年には四平という町に引っ越した。

新京と同じように、計画して作られた都市のひとつだ。中心部にはロータリーがあり、道路は碁盤の目に整備されていた。レンガ造りの街並みが美しかったという。

街は、南満州鉄道の線路を境に、日本人街と中国人街に区切られていた。路上でみかけた中国人を、いじめることもあった。

「チャンコロと呼んでね。みんなで殴りかかったり、石を投げたりしたこともありました。こっちを見ていたら『警察に通報するぞ』とちょっかいを出したり。今思えば、下に見ていたんでしょうね」

自転車屋だった親友の家には「少年倶楽部」などの雑誌や本がたくさんあり、毎日のように読みふけった。冬は凍った道路でコマ回しをしたり、水を撒いた校庭でスケートをしたりして、過ごした。

戦争は、どこか遠い国で起きていることのように思えた。

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最終更新:2017/8/16(水) 11:27
BuzzFeed Japan

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