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戦争浮浪児が語る終戦72年 「妻や子どもにも言い出せなかった」上野での過酷路上生活

8/17(木) 7:00配信

AbemaTIMES

(C)AbemaTV

 「ころっとかわって、どこがどこかわからへん(笑)」「全然変わってしまって面影がない。だけど、西郷さんの銅像から昔のことを思い出した」

 72回目の終戦記念日を迎えた15日、64年ぶりに大阪から東京にやってきたのは、筒井利男さん(84)。

 あの戦争を生き延びた子どもたちの中には、“浮浪児“と呼ばれる人たちがいた。実は筒井さんもその一人だ。上野の路上や地下道で寝泊まりする、過酷な生活を強いられた時期もあった。「横になって寝てるかと思ったら死んでんねん」。1日に2,3人が亡くなることもあったという。

■昭和23年の時点で全国に12万3千人の孤児

 1945年(昭和20年)3月10日。352機のB-29が飛来、東京大空襲が始まった。落とされた爆弾は38万発。焼夷弾と呼ばれる可燃性の高い爆弾は木造建築が集中していた下町を軒並み焼き尽くし、一夜にして市街地の東半分を壊滅させた。死者・行方不明者は10万人、被災者は100万人にものぼり、単独の空襲では世界史上最大の犠牲を出した。

 当時の様子を描き続けていたのが、画家の狩野光男さん(86)。浅草の実家が焼け落ち、両親と二人の妹と逃げたのが言門橋のたもとだった。そこはまさに地獄絵図。狩野さんの家族も含め、避難してきた人のほとんどがこの場で亡くなったという。「死体でいっぱいで、助かったのは僕だけ。だから申し訳ないような気持ちもあるが、こればかりはしかたない」。

 その後、運良く映画の看板描き職人の元に弟子入り、画家としての人生を歩み始めた。「その先生がいなかったら僕は多分あまり良い方(人生)にはいってなかった」。

 空襲で家を失いながらも、親がいた子どもたちは国が用意した共同施設や焼け跡のバラックで身を寄せ合うことができた。しかし、そうではない戦災孤児たち。厚生省は保護委託、養子縁組の斡旋などの対策を講じた。戦後、厚生省が行った調査では、昭和23年の時点で全国に12万3千人の孤児がおり、そのうち10万人が親戚などに引き取られていったという。

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最終更新:8/17(木) 7:57
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