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「甲子園の土、その後どうしてますか?」 元甲子園球児たちに聞いてみた

8/21(月) 11:10配信

ねとらぼ

 野球少年たちの夢舞台、甲子園。そして敗退した彼らが大勢のカメラマンのフラッシュを浴びながら集めるのが“甲子園の土”です。

【画像】ビンに詰められた「甲子園の土」

 そんなシーンこそクローズアップされるものの、その後、土がどうなったかにはほとんど触れられません。

 多くの出場者にとって甲子園は、野球人生いちばんの晴れ舞台。そんな彼らの勲章であり、汗の結晶である「甲子園の土」はいま、どうなっているのでしょうか? 実際に、たくさんの元甲子園球児の方たちに聞きました。

 「甲子園の土、その後どうしてますか?」

●「強豪ではなかった高校のグラウンドへまきました。そこからプロ選手が出て……」

 埼玉の強豪県立高校出身の鈴木さん(仮名)、58歳。高2の夏にチームが甲子園へ出場。ベンチ入りメンバーからはギリギリで漏れてしまったそうですが、選手たちの練習相手となるバックアップメンバーには入り、チームを勝たせるための役割に徹していたそうです。

 そこで気心の知れた3年生のレギュラー選手に、こっそり「自分の分もください」と伝えており、何とか土をもらえたそう。

 しかし、気前の良い鈴木さんは、甲子園へ行けなかった知り合いや後輩たち、さらには野球少年たちへ次々とあげてしまい、40歳になる前に土はなくなってしまったとか。

 その気前の良さが特に現れたのは、知り合いがいる別の高校のセレモニーに、土を使わせてあげたときのこと。最後の夏大会への出陣式として「この土をみんなで取りに行こう」とグラウンドへまくのに使われました。

 そこまで強くない高校であったものの、エースピッチャーはそこから周りが驚くほどの大出世をしました。甲子園の舞台には立てなかったものの、社会人野球を経て、西武ライオンズへ入団し、1軍でも活躍したそうです。

 「プロになった彼の脳裏に、ほんの少しでもあの土があったとしたら……それはとてもうれしいですね」

 いま鈴木さんは、埼玉県の小川町高見にある「高見屋」でうどんを打っています。

●「2年生は土を拾うな!」の言いつけを破って持ち帰り、今は「ワイングラスの中」

 五所川原農林高校野球部で1970年夏大会に2年生で出場した奈良義一さん。守備に定評のある7番ショートでした。初戦で岐阜短大付属高校に0-4で負け、夏は終わりました。

 実は監督から「まだ2年生なんだから、土を拾うな!」と言われていましたが、言いつけを破って何とか土を持ち帰ったそうです。翌年の最後の夏は、青森県の代表決定戦で弘前高校と対戦し、敗れて甲子園出場はならなかったそうですから、土を持ち帰れたことは、今となっては良かったのかも知れません。

 土はやはり、中学校や小学校のときの野球部など、色んな人に配ったとか。小学校で野球を教わった先生のもとにも持っていき、先生はとても喜んでいたそう。

 「甲子園の土はすごくやわらかくて、スパイクが沈んで埋まるほど。砂に近かった」

 それは今、ワイングラスに入って食器棚に飾られています。

●ラッパーになった甲子園球児。「MVの中で母校のグラウンドに土をまきました」

 2016年、山梨学院高校から夏大会へ出場した椙浦(すぎうら)光さん。副主将として挑んだ夏大会前に左手親指を骨折し、レギュラー落ち。そのケガの影響を引きずりながらも甲子園では代打出場し、悔しい見逃し三振で夢の舞台を去りました。

 たくさん持ち帰った土を、家族や親戚、同級生、先生、先輩・後輩たち、さらに小学生時に所属したチームの後輩たち全員に配ったそうです。

 土は現在、実家のテレビの上に置いているとか。「そこが一番目にとどまるところですから。甲子園の記憶が薄れないように、そうしました」その土を見て、当時を想うこともあるそうです。

 今では「H-PICE」の名で、以前から憧れていたラッパーとしてデビュー。当時の記憶をよみがえらせて作った「約束の場所」は、高校球児への応援歌。一瞬に全てをささげた若者だからこそ書ける、汗にまみれたような力強いフレーズであふれており、MVの中で、母校(中学校)のグラウンドに実際に甲子園の土をまくシーンも。

 その曲で彼の紡ぎ出すフレーズ、特に「2016年8月 バットは出なかったあの悔しい思いは今ここに」という言葉は、ほんの一瞬でも甲子園を目指した元野球少年の心を打ちます。

●「奇跡のバックホーム」でまさかのアウトに。「土は、スパイク袋に入れたまま……」

 1996年夏大会決勝。犠牲フライには十分な打球がライトへ上がり、三塁走者の熊本工業・星子選手はタッチアップ。あとは50メートル5秒台の俊足でホームを目指すだけでした。しかし、松山商業ライト矢野選手の返球が、浜風に乗り加速。これ以上ない最高の返球がどストライクで返り、まさかのタッチアウト。これが甲子園史上に残る「奇跡のバックホーム」でした。

 その後、熊本工業は11回に勝ち越され、敗退。そんな悲劇のヒーローとなった星子さんは、現在熊本でその名も「たっちあっぷ」というバーを開いています。

 「甲子園の土は、スパイク袋で持って帰って、実家にそのまま置いてきました。ほかの人へ配ってもいません。今、あるのかどうかすら分からない」

 熊本工業は当時毎年のように甲子園へ出る常連校だったため、土への思いも部員たちはおおむね薄かったとか。そして「土への特別な気持ちはない」と繰り返しながらも、星子さんはこうも言います。

 「(土に関して冷めているのは)決勝でああいう負け方をした、という悔しさも少しはあったのかもしれないな……」

●桑田からヒットを打った5番バッター、土は倉庫で行方不明……

 津久見高校でPL学園と対戦した中田さん(仮名)。チームは完封負けを喫するも、5番ライトとしてエース桑田真澄相手に、見事センター返しのヒットを放ちました。

 彼によると、当時は試合後だけでなく、甲子園の練習時にも少し、土を取れる時間があったそうです。そのため、練習のときに取って、試合後にも取って……と、二段階で土を集めたとか。

 「試合の後は土を入れる時間がなく、追い立てられてしまうのと、練習のときはベンチ入りメンバー以外もグラウンドへ入れるから……でしょうか」

 その土は友達や担任の先生などほうぼうにあげて、今ではイチゴジャムぐらいの小さなビンに残る程度。しかも結婚時に行方不明になってしまったとか。「母屋の倉庫のどこかにはあるんじゃないか」とのこと。

●「何もないところでヘッドスライディングして、こっそり土を持ち帰る者がいた」

 森田裕貴さんは2005年の夏、前橋商業で4番ファーストとして出場。初戦の2回戦で熊本工業に勝ち、次の3回戦で日大三高に敗退するも、そこでタイムリーツーベースを放った強打者でした。

 なお試合の前の日に、「戦う前に、負ける話をするのもなんだけど……」という形で、監督から話があったとのこと。そこでは「負けたときは、みんなのために、ちょっと多く土を取っておいてくれ」という、監督ならではの思いやりある言葉があったとか。

 ベンチ入りメンバーは18人だけ。全体で100人ぐらい部員がいたので、森田さんたちレギュラーは、ベンチへ入れなかったみんなに土を分けました。その他友達や親戚らにも配り、現在はビン数本に土が残っていて、家に飾っています。

 ちなみに甲子園の土は、試合に負けたとき以外に取ろうとすると、グラウンドの管理員さんに注意されてしまったとか。そこで公開練習のとき、何でもないところで「ヘッドスライディング」して、こっそり土を持って帰る者たちがいたそうです。

 公開練習では、ベンチ入りメンバー以外でも甲子園の土を踏めます。そんなスキを突いての、涙ぐましい努力で土を持ち帰ろうとしていたのかも知れません。

●地元中学校の職員室の前に飾ってくれた

 yusukeさんは高知高校出身。3年生の夏、広島の名門・広陵高校と対戦し、健闘するも5-8で敗退。yusukeさんは代打出場するも、レフトフライに倒れました。

 たくさん持って帰った土は、地元の知り合いたちにあげたとか。さらに出身の中学校には、仲の良さゆえに「もっとちょうだいよ」とねだられて、いちばん多くの土を置いていったそうです。それを中学校側は職員室の前に名前入りで飾って、地元の英雄をたたえました。残りは甲子園で買ったビンに詰められ、家に飾られています。

 「甲子園の土を眺めることもあります。3年間の努力の結晶ですので、仲間とのキツくつらい練習の日々を思い出させてくれます」

●監督「いっぱい、甲子園の土をさわっておけ!」

 1991年、夏大会に出場した岡山東商業高校ナインにもお話を聞けました。1回戦、センバツ準優勝で、後に日本ハムへ入団する上田佳範投手擁する松商学園(長野)を前に、惜しくも2-6で敗退。

 キャプテンで3番キャッチャーだった橋本さんはこう語ります。

 「お世話になった方々へ配りました。親がリビングの棚に、花と一緒に飾ってあります」

 「甲子園練習で、監督に『試合前に、いっぱい甲子園の土をさわっとけ!』と言わわれ、すごくサラサラで、砂のような手触りでビックリしたのを覚えています」

●「息子の野球友達がみんな、こっそり土を触っています」

 1番セカンドだった大森さんは、当時のクラスメートへ粋なはからい。小さなビンに詰めて、20人へプレゼントしたそうです。いまはメダルや盾らと共にビン詰めで土を飾っているとか。

 「甲子園の土はやはり『いい思い出』ですね! 息子が野球をしているのですが、友達が来て、勝手にみんなで触ったりしているそうです」

●「土を見て、甲子園を目指す我が子を思います」

 6番センターの大塚さんもやはり同じクラスの子に配り、いまはビンに詰めて寝室のタンスの上に飾っているそう。

 「子供がいま、甲子園を目指して頑張っていますので、この土を見ていろいろ思います。本当に……良い思い出です」

●「甲子園の土をまいた畑の野菜を、毎日食べています」

 滋賀の高校で甲子園へ出場した佐藤さん(仮名)。土はビンに詰めて家族や親戚に配った後、なくしてしまったとか。

 「特に飾っていたわけではなかったですし。その前に……残った土は祖父母の畑にまきました。夏はトマトやきゅうり、ナス。冬は白菜やキャベツが採れて、その野菜を今も毎日食べていますよ。野菜がおいしくなるかな、と思ってまいていたと思います。特に味の変化はありませんが、高校生のときは何か、豊作になるなどのご利益でもあるかな……と思っていたことは確かです」

●「タンスの上にあって、時々見ていました」

 1999年の夏、3番ファーストとしてタイムリーを放ち、公立高校・柏陵のベスト8躍進へと貢献した太田光一さん。

 友達や親戚にあげた後は残った土を小さな瓶に入れて、タンスの上に保管し、その姿を時々見て確認していたとのこと。甲子園の思い出は大事にしているものの、土にはそこまでこだわりはなかったそうで、「土を眺めて、何かを想ったり……はしませんでした。今は押し入れの中です」と笑います。

●甲子園の土は「特別」としか言えない

 青森の高校で高3のときに甲子園へ出場した下畑さん。県大会決勝の光星学院戦では、1番バッターとして殊勲の先制タイムリーを放ち、甲子園へ導いた彼も、親戚などに配っていったとか。いまは実家のリビングのトロフィーらとともに、甲子園で買ったビンに入れて飾ってあります。

 「甲子園の土は、特別……としか言えない。強豪たちを倒して、苦労をして得られたものなので」

 普段あまりされないような質問に、本当に皆さん誠実に、丁寧に答えてくださいました。

 “甲子園の土”はたかが土、されど土。解釈によってその重さは変わり、それを反映するような、それぞれの「土のその後」がありました。

 時には、人の大きな思いも込められる甲子園の土。それは野球少年の誰もが目指した舞台に立てたからこそ、つかめたもの。そんな特別な土は、これからも憧れでありつづけるでしょう。

 今年ももうすぐ、甲子園の決勝がやってきます。

最終更新:8/21(月) 12:24
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