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太平洋戦争末期 捕虜の生活ぶり鮮明

8/21(月) 17:27配信

福井新聞ONLINE

 太平洋戦争末期に福井県大野市南六呂師にあった連合国軍捕虜の収容所分所での捕虜の生活が、米国人がアップしたホームページ(HP)に掲載されている。内容を調査した福井大教授によると、「スープの菜を探しに山裾へ」「(福井空襲が見え)西の空が赤く輝いている」などと、捕虜となっていた米軍将校の日記などを紹介している。教授は「当時の捕虜の生活が鮮明に分かる歴史資料」と話している。

【写真】>大尉の日記が載っているホームページの画面

 調査したのは、福井県文書館記録資料アドバイザーで福井大国際地域学部の木村亮教授(59)。米国民間人の故ロジャー・マンセル氏が収集した米兵捕虜の証言などをまとめたHPの中に、六呂師分所にいた米シュタイガー大尉の当時の日記などがあるのを見つけた。

 日記には「6月23日、335人の米陸軍、海軍、海兵隊の(捕虜)将校が善通寺キャンプを出発」「6月25日午前2時、六呂師到着」「8月22日午後4時、所長が我々に戦争が終わったと告げた」などと克明に記されている。

 大野市史などによると、六呂師分所は、善通寺(香川県)にあった日本軍管轄正式捕虜収容所にいた将校らの収容のため、1945年6~9月の約2カ月半、現在の大野市南六呂師に開設されていた。捕虜は身分の高い将校中心で、終戦時の収容者数は361人(米国351人、英国5人、オランダ5人)だった。

 県文書館が米国立公文書記録管理局から入手した六呂師分所の写真には、捕虜が退所のために荷造りする様子や、トラックに乗り込む姿などが写っている。

 同市有明町の松田吉雄さん(81)は当時9歳で、終戦直後に「村の中を外国人の兵士が歩いていたのを覚えている」と話す。卵が不足していて村に買いに来ていたと聞いており、「お菓子をねだりに近づくと、チューインガムやチョコを笑顔でくれた」と振り返る。

 木村教授は2010年に県文書館の研究紀要でHPの概要を紹介。今年3月に県立図書館で開いた講座で詳細を披露した。「捕虜になった側の思いで書かれているため、客観的というのは難しいかもしれないが、当時の考え、経験は鮮明に分かる」と説明。同講座を開いた県文書館の柳沢芙美子副館長は「日本側だけでなく相手側の資料まで見ることで、浮かび上がる戦争体験もあるのではないか」と話している。

 木村教授は「ネットを利用して自宅で簡単に閲覧できる歴史資料もある。英文の資料を訳せば新たな発見があるかもしれない」とし、研究への挑戦を呼び掛けている。