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古舘伊知郎「昭和のプロレスのラジオドラマ的情感が、好きだった」

8/22(火) 5:40配信

ニッポン放送「しゃベル」

『レジェンドアナを直撃!今だから言えるアノ話』と題し、“伝説”を創ってきたアナウンサーたちに、今だから語れる数々のエピソード・秘話を高嶋ひでたけが訊いていく。

箱崎みどりアナ浴衣写真集

トップバッターは元テレビ朝日・古舘伊知郎。

レジェンドアナを直撃!今だから言えるアノ話

高嶋)こうやってね。面と向かって古舘伊知郎さんと相対すると、浦島太郎になった気分になります。私は、初めて古舘伊知郎さんと会った時は、まだテレ朝のアナウンサーで。

古館)20代後半ぐらいだったと思います。

高嶋)新日本プロレスで、小鉄さんと一緒にやって。それで古館語録でウワ~と、勢いが出てきたころだね。あれから何十年経った?

古館)30有余年ですよ。僕が高嶋さんによく、呼んでもらったりして。スタジオ見学的にニッポン放送に行った時、高嶋さんがやっていらした番組は『大入りダイヤルまだ宵の口』ですからね。

高嶋)(笑)。

古館)まだ、高嶋ヒゲ武って言っていた頃で。

高嶋)僕もさっきね。昔のことを思い出していたらね。なんかほら、ある人を中心に、民放のアナウンサーが集う会みたいなのがあって。そん時にプロレスの絡みで、僕も呼んでもらって。覚えてないと思うけど。覆面ね。メキシコのレスラー、マスカラスか、なんか忘れたけど。それをね、ふたつ貰ったことがあるんだよ。

古館)忘れてました。メキシコに遠征、中継でいくんですね。大量に大人買いしてくるんですよ。会場でマスクマンのマスク、いっぱい売ってるんで。それをちょっとお分けしたのかもしれませんね。

高嶋)お土産でもらったんですよ。

古館)ご挨拶代わりに。

高嶋)うちのせがれが、まだ幼稚園ぐらいで。あれ子供用だったんですね。それを付けてね。歩くとね。街行く人がよけるんですよ。キャー、ぼく、怖いなんて言って。

古館)よくね。メキシコシティ郊外のトレオ・デ・クアトロ・カミノスという闘牛場で中継をやったんです。そこに行く度にマスク買って。それでお土産で渡すと、みなさん喜んだんですよ。

高嶋)レスラーの裏話が面白くてね。外では言えないようなね。まあ、ひとつ言わせてもらうと、腹のボーンと出ててね。下半身まで腹の皮がとどきそうなレスラーがいてね。あんな人、風呂入ったら、どう洗うの?って聞いたら若手が腹を引っ張りあげて。それをモップで洗うんだって。

古館)僕、それ現場で、見ましたからね。マクガイヤーブラザーズって言ってね。あまりにも太っちゃって、動けないんですよ。ほんと、いま、おっしゃったように。お腹が出ているの通り越して。膝あたりまでお腹の肉が垂れて。そうすると、お腹の裏側を自分では洗えない。大きすぎてお腹が。両サイドから新日本プロレスの若手レスラーが、せ~のってお腹を持ち上げて。お腹の裏をモップで洗ってあげる。そうすると気持ちよさそうな顔、するんですよ。本当に面白い時代でした。

高嶋)不思議なものでね。田園コロシアムのアンドレ・ザ・ジャイアントと、スタン・ハンセンの試合を見て、心底熱狂して。申し訳ないけど。そのあとプロレス見てても、面白くなくなっちゃった。

古館)あれは基準を超えた、ものすごい試合でしたね。

高嶋)あれ、実況古館さんでしょう?

古館)はい、現場でやってました。目の前で、物凄い闘いになっているんですよ。だって2m23cm260キロの、もう亡くなりましたけどアンドレ・ザ・ジャイアントに。本当のことをいうと誰もかなわないと思うんですよ。そのアンドレに向かって、あの“ブレーキを失った重戦車”スタン・ハンセンが、おもいってきりパイプ椅子、折り畳み式の椅子を畳んで。アンドレの背中に身体ごとぶつかっていくんですよ。椅子もろとも。椅子と人間が一緒にぶつかっていく雪崩現象のようなね。なんかね“肉体のナイヤガラの滝”とか色々言ったと思うんですけど。なんかもう、肉体だか、液体だか、個体だか判らないような、くんずほぐれつなんですよ目の前で。あれは凄かったですね。

高嶋)あの時の、あの勢い。また新日が蘇っているようですけれども。今見ててどうですか?。

古館)今見ても、すごいなあなんて思います。棚橋選手含め、スゴイ人たちがいっぱい、いるなあと思います。ただやっぱり昔、実況をやってた人間としては、なんか今のプロレスと、距離があるんですよ。技は研ぎ澄まされてるし、昔以上に派手だし。ただ、ちょっと今のプロレス、凄すぎて。バーチャルリアリティーみたいな感じがしちゃって。僕みたいな古い人間は現実感がないんですね。スゴイなあって思うけど。昔の方が、技は洗練されていませんし、技と技、動きと動きの間に“ま”があったじゃないですか?その“間合い”がね。なんとも鬼気迫る間合いだったり。考えさせられる間合いだったり。ちょっと情感が昔の方が、ラジオドラマ的、情感といいますか。暗さといいますか。裸電球の下の興行っていいますか。なんか、その辺がかっこよくって。なんか今はポップスだけど、昔は演歌な感じがして。なんか僕は古いのか、昔の方が好きです。

高嶋)とにかく、あれで世に出たわけでね。若い時からフリーになりたいって、言っていましたよね。周りの人がいろんなこと、言ってましたけど。ギャーギャーギャーギャー、人は勝手なこといいますからね。

古館)ほんとうに、1年で潰れるから(フリーになるの)やめときなさいとか。みんなほんとうに親心っていうんですか。なんていうんですか。みんなやめとけ、馬鹿な事いうなって言うから、余計に辞めたくなるんですよね、若い時って。みの(もんた)さんもね。文化放送に行って。大先輩なんで『古館、よく聞いておけよ。局アナでやって、アルバイトで稼ぐんだよ。その2倍、3倍、4倍を狙うんだよ。局に席を置いておいたほうがいいんだよ、古館』って。そうしたら自分が辞めちゃいましたからね。あの人は、いいかげんで(笑)。

高嶋)みのさんに憧れて、アナウンサーに?

古館)はい、そこは強くありましたね。やっぱり『セイ!ヤング』とか、『オールナイトニッポン』とか、『パックインミュージック』とか全盛の頃に。特にみのさんのセイ!ヤングにちょっと憧れて。自分の母校の立教高校の話をしてくれるんで、ちょっと興奮しちゃうんですよね。それで先輩と慕うようになって。たまたま高校1年の時に、芝の増上寺でモップスのコンサートがあって。みのさんと同期と言われていた、レモンちゃん、落合恵子さんとみのさんが司会で。それで、落合さんでもなく、モップスでもなく、みのさんの列にサイン帳を持って並びまして『高校の後輩です。アナウンサーになりたいんです』って言いたくて、頭の中でず~とセリフ考えて。そして自分の番になって、みのさんがサインを書いてくれて。僕が『立教高校の後輩です。みのさんみたいなアナウンサーになりたいんです。どうでしょうか?』って言った瞬間に。俺の話聞くか聞かないかのタイミングで『がんばれよ。なれるに決まってんじゃん。ハイ次の方』って言われて。もしかしたら、なれるかもしれないって(笑)懐かしいなあ。

高嶋)(笑)顔まで浮かんでくる。話が弾んでね。テレビじゃあ聞けないような話がたくさん聞けてね。じゃあ、こんな調子で、あしたもひとつ、よろしくお願いします。

古館)はい、よろしくお願いします。

(8月21日(月)放送 ニッポン放送「高嶋ひでたけのあさラジ!」より)

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