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はめられた開発会社、要件定義書に仕掛けられたワナ:IT小説「コンサルは見た! 与信管理システム構築に潜む黒い野望」

8/28(月) 7:10配信

@IT

○あらすじ

化粧品メーカー「アフロディテ」のシステム部課長 白瀬智裕は、情に厚い熱血漢。営業畑出身でITの知識はないものの、力量を見込まれて社運を握る新システム「エンジェル・サイト」のPMに任命された。

【激オコ係長】

エンジェル・サイトの要件定義を通じて一回りも二回りも成長した白瀬は幹部候補となり、お世話になったITコンサルティング会社「A&Dコンサルティング」に出向し、トップコンサルタント江里口美咲の下でIT戦略を学ぶことになった。

機械部品メーカーの生産管理システム、小売りチェーンの店舗管理システム、宿泊施設向けパッケージソフトのカスタマイズ――多種多様な業種のトラブルプロジェクトを美咲と共に解決してきた白瀬が今回立ち向かうのは、銀行の与信管理システム(バグ絶賛発生中)だ!

●荒ぶるシステム係長

 「冗談じゃないよ! 有馬社長。アンタら提案のときには、『銀行の与信審査業務なら全部分かってるから任せろ』なんて自信満々に言ってたじゃないか。それが開発させてみたら、融資先ごとの信用枠計算は間違いだらけだし、ALMシステム(※)との接続もまともにできない。揚げ句、自分たちは箱根の与信管理を良く分かってなかったから、もう一度勉強しなおして、要件も見直したいだって? どこまで厚かましいんだ!」

※ALM(Asset Liability Management)システム 預貸系取引の「資産」と「負債」を総合的に管理し、「ギャップ分析」「期間損益分析」「時価評価分析」などを実施するシステム

 小規模ながらも、地元の宿泊施設や商店との強い信頼関係で着実な営業を続けている箱根銀行。その小さな会議室で、情報システム部係長の草津が、ゴールウェイテクノロジー社社長の有馬を怒鳴りつけるのを白瀬は聞いていた。

 草津はまだ30歳を超えた辺り。一方の有馬は60歳にはなっているだろう。白瀬は、理由はともかく自分の父親ほどの年齢の人間を高圧的に怒鳴りつけている草津を苦々しく感じていた。

 確かに、箱根銀行情報システム部の実質的な中心メンバーであるこの草津という男が激高する気持ちも、分らないではない。ゴールウェイが請け負った箱根銀行の与信管理システムは、テスト段階で多数の不具合が発生した上に、他のシステムとの接続方式をめぐる認識の食い違いがこの時期になって発覚した。これにより、当初予定していた2018年1月の本稼働が絶望的といっていい状態に陥っていたのだ。

 しかし、体育会出身のせいか長幼の序にうるさい白瀬には、まだ分別も経験も足りない若さの草津が、客の立場をいいことに初老の紳士を怒鳴りつける姿が、どうにも納得できなかった。

 「い、いえ草津さん。われわれはその、全部任せろとか、そこまでは申しておりませんで、その……」

 草津の声を深く下げた頭のてっぺんで受け止めていた有馬が、その日初めての反論を試みたが、草津の勢いは止まらなかった。

 「いいや。アンタは確かにその口で、『他行で同じようなシステムを幾つも作ってきた』『金融業務に精通したメンバーが万全の体制で臨む』って繰り返し言ってたじゃないか! このシステムのリリース遅延が、当行の経営にどれだけダメージを与えるのか、分かって言ってるのか!」

○登場人物

・A&Dコンサルティング

白瀬智裕
化粧品メーカー「アフロディテ」システム部課長。営業出身でITの知識も経験もないが、次期幹部候補として、ネット販売システム構築プロジェクトのPMに抜てきされた。プロジェクトを成功させたのち、IT戦略を学ぶために「A&Dコンサルティング」に出向。

江里口美咲
A&DコンサルティングのITコンサルタント。アフロディテのネット販売システム構築プロジェクトでコンサルを担当し、失敗しかけたプロジェクトを成功に導いた。現在は白瀬のメンター。

・箱根銀行

別府
箱根銀行 システム部 部長。事なかれ主義で実務は部下に任せ、自身は調整を得意とする。

赤倉
箱根銀行 システム部 課長。社内事情通。

草津
箱根銀行 システム部 係長。30代、入行10年目の中堅エンジニア。経理部員と行内恋愛中。

・ゴールウェイテクノロジー

有馬
システム開発会社「ゴールウェイテクノロジー」の創業社長。60代。箱根銀行の与信管理システム開発を請け負ったが……

●期限は、2018年1月

 箱根銀行のような地場銀行は、かつては、取引実績によって築かれた事業主との信頼関係と、土地や債券などの担保物件さえあれば、担当者の判断で融資金額を決めることができた。

 しかし近年は、「銀行の自己資本に対する融資総額の比率を一定の水準に抑えるように」という規制が掛かったのだ。銀行の総融資額が増えれば、比例して融資先が経営不振や破綻で返済を受けられなくなるリスクも高まる。もしも銀行が、自身の持つ現金やすぐに現金化できる資産に対して大き過ぎる融資を行っていれば、リスクが顕在化したときに銀行自体の経営が危うくなる。監督官庁による規制は、そうしたことを防止するためのものだった。

 銀行は、この規制に対応するため、顧客ごとに設定している与信限度額の合計とALMシステムから算出された総融資可能額を比較し、必要に応じて是正するためのシステムを構築することが必要となる。

 箱根銀行の与信管理システム開発は、こうした融資業務の見直しのために行われていた。監督官庁は箱根に対して、一刻も早いシステムの完成を再三にわたり命じており、それを箱根が約束した期限が、2018年の1月だったのだ。

 「く、草津君、少し落ち着こうよ」

 会議に同席していた情報システム部長の別府が初めて口を開いた。別府は草津の上司に当たるが、どちらかと言えば調整型のリーダーだ。このプロジェクトも、入行以来10年ずっとシステム畑を歩いてきた草津に任せきりにしていた。実際のところ、別府が顔を出したのは、プロジェクトの開始前、開発ベンダーをゴールウェイに決定する会議以来だった。

 「これが落ち着いていられますか。部長はめったに顔をお出しにならないから、分からないかもしれませんが、こいつらのシステム作りはあまりにひどい。欠陥の多さももちろんだが、1番大切な機能である融資枠総額のALM側への送信ができないなんて言語道断だ」

 「そ、それにしたって君、もう少し口を慎めないか? さっきから『アンタら』とか『こいつら』とか、社外の方に対してあまりに失礼だろう……」

 そう言いつつも、草津の勢いに押されて、別府の声は部下を叱責する口調とは程遠い、か細いものだった。

 「部長。私、言いましたよね。部長をはじめ情報システム部のみんなが、値段が安いからってゴールウェイに開発を頼もうとしたとき、『この規模の会社で本当に大丈夫か』って。よそで実績があっても、大手ベンダーの下で一部の作業を請け負っただけかもしれないから、それを調べてからの方がいいって。なのに、部長は私の忠告を無視してゴールウェイと契約をしてしまった」

 「あ、あのときは、他にやってくれるところもなくて……」

 「その結果がこのザマじゃないですか! いつもそうだ。適当に物事を決めて、危なくなったらその尻拭いはこっち。もうたくさんですよ!」

 草津から投げかけられた鋭い視線に、別府はたじろぎ口をつぐんだ。

●その機能は、どうしても必要なものか?

 「あの……」と、白瀬がようやく会話に割って入った。

 「何です?」

 草津は興奮したまま応えた。

 「そのALMシステムへの融資枠総額の送信ってのは、どうしてもやらないといけないものですか? 有馬さん」

 白瀬が有馬に話し掛けたのは、何とか草津の言葉を断ち切りたかったからだ。しかし有馬の方は少し驚いた様子だった。

 「えっ? あ、そ、そうですね。融資枠総額というのは、実際それほど大きいデータではありません。12桁程度の数値項目ですので、その、最悪ALMに手入力でも……。実際、われわれは、そのように考えて設計致しまして……」

 「バカなことを言ってるんじゃない!」

 草津は有馬に対して再び怒声を浴びせた後、今度は白瀬をにらみつけた。

 「アンタ。白瀬さんだっけ? そんなレベルの低い話をするんだったら邪魔だ。すぐに帰ってくれ!」

 「な……」

 息を飲む白瀬に草津は言葉を続けた。

 「大体アンタ、ITコンサルとか言ってるが、銀行業務の経験はあるのか?」

 「い、いやそれは」

 白瀬は口をつぐんだ。無論、彼には銀行のITに携わった経験はない。

 「そんな奴が何でここにいる! いいか? ALMっていうのは、勘定系システムや外部の情報ベンダー、それにこの与信管理システムからリアルタイムで情報を取り込み、さまざまな金利シナリオを当てはめてシミュレーションするんだ。ウチのALMは、この建物内の経営企画室にあるサーバで行う。一方、与信管理は東京のクラウドベンダーに置くんだ。借し入れや事故が起きて与信枠が変わる度に、ベンダーに電話でもして、教えてもらうのか? あ? バカかアンタは!」

 草津のあまりに礼を失した物言いに、白瀬は黙り込んだ。

 こいつは、まともじゃない。確かに白瀬には銀行のことはよく分からない。しかし、銀行の持つ資産と負債が今後の金利動向によって数年先どう変わるのかをシミュレーションするALMに投入するデータは、シミュレーションをしようと考えた時点で入手すれば事足りるはずで、時々刻々変化するたびに取り込む必要まではないように思える。

 別システムで作成したデータを手入力するような操作は不格好かもしれないが、一応、用は足りるはずだ。これだけスケジュールが切迫しているのであれば、その部分を後回しにするのは、ITプロジェクトなら当然の判断のはずだ。

 白瀬がそう言おうと口を開きかけたとき、突然、草津が席を立った。

 「もういい。こんな話し合い、時間のムダだ」

●粗い要件定義書

 「草津君!」と呼びかける別府を無視して、草津は有馬に向かって言った。

 「とにかくシステムは是が非でも年末までに完成させてもらう。どれだけの人間を投入してでも、徹夜を続けてでも、絶対に間に合わせろ。もしできないなら、出るところに出て損害賠償請求してやるからな」

 そこまで言うと、草津は乱暴に会議室のドアを開けて出て行った。

 「も、申し訳ありません……」

 草津が去ったあと、有馬が別府と白瀬に頭を下げた。

 「いや、こちらこそ。失礼なことばかり申し上げて」

 別府が答えた。有馬が頭を上げるのを待って、白瀬が尋ねた。

 「ちょっと伺いたいんですが、そのALMへのデータ送信の件、要件定義書ではどうなってるんですか?」

 「そ、それ、その、草津さんから、『融資限度枠の総額をALMの計算に使えるように』と、そのように言われましたので、それをそのまま……」

 「それだけ? ネットワーク経由で渡すとか、タイミングとか、そういうのは?」

 「い、いえ、特には。ですから私どもも、ただ融資限度枠を足し上げてデータベースに保管しておけばと」

 「それは……どうですかね」

 そう言ったのは別府だった。

 「草津の肩を持つわけではありませんが、それでは確かにシミュレーションのたびにクラウドベンダーに依頼してデータを取り出して、電話はともかく、メールなどで知らせてもらうことになる」

 「それではダメなんですか?」

 白瀬の問いに、別府は首を横に振った。

 「シミュレーションは、経営企画部が必要と感じれば、夜中でも休日でもいつでも行います。ALMの分析は、経営陣が欲しいと言ったとき、すぐに出せなきゃいけませんから」

 「そういうものですか」

 白瀬は頷いた。それなら草津の怒りも少しは理解できる。しかしそれ以前に、ユーザーが定義すべき要件の記述が「ALMでも使えるように」だけではあまりに粗過ぎる。それとも、そんな定義の仕方でも、業務を知るベンダーなら、その実現方式や頻度は自明のこととして、詳細な要件を定義して開発できるものなのだろうか。

 やっぱり銀行システムのコンサルなんて、俺には難しい……。白瀬はそんなことを考えながら、ため息をついた。

 「コンサルは見た! 与信管理システム構築に潜む黒い野望」第2話は8月31日掲載です。白瀬と美咲のその他の事件解決譚は、書籍『システムを「外注」するときに読む本』をご覧ください。

●書籍

システムを「外注」するときに読む本
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)

システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。

○仮想ストーリーを通じて実際にあった事件・事故のポイントを分かりやすく説く『システムを「外注」するときに読む本』(細川義洋著、ダイヤモンド社)。連載「コンサルは見た! 与信管理システム構築に潜む黒い野望」は、本書制作時に諸般の事由から掲載を見送った「幻の原稿」を、@IT編集部が奇跡的に発掘し、著者と出版社の了承を得て独占掲載するものです。

●細川義洋

政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員

NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる

最終更新:8/28(月) 7:10
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