ここから本文です

今年も長野の特攻隊慰霊碑に花……「予科練」同窓会は高齢化で2年前に解散

9/10(日) 15:40配信

THE PAGE

 戦時中の特攻による戦没者が90人近くに上った長野県で、慰霊祭が行われなくなって今年で2年目になります。というのも旧海軍の甲種飛行予科練習生(予科練)の出身者による「長野県甲飛会」が、高齢化のため2015(平成27)年に解散したため。全国では地域の遺族会なども高齢化で相次ぎ解散しており、戦争の記憶を伝える機会が失われつつあります。それでも長野市の善光寺にある特攻隊の慰霊碑には今年も誰かが訪れ、供えられた花が風に揺れていました。

【動画】元ゼロ戦パイロット・原田要さん「戦争の罪悪で世界一、非人道的な人間に」

解散した2015年まで32回の「慰霊祭」

 長野県甲飛会の機関紙「長野県甲飛」最終号(平成27年)や、甲飛12期のゼロ戦パイロットで会の副会長だった小笹幸夫(おざさ・ゆきお)さん(91)=長野市=によると、予科練出身者らによる全国甲飛会は1963(昭和38)年に発足。これを受け長野県甲飛会も1984(昭和59)年に組織し、総会を開いて発足しました。

 慰霊祭は松本市の護国神社と長野市の善光寺で行い、会が解散した2015年には32回目を数えました。この間、甲飛の戦没者が軍務に就いた国内外の戦跡なども慰霊に訪れ、「遺族から感謝されてきた」(小笹さん)。

 しかし当初400人もいたという予科練出身の会員も高齢化や死没などで100人ほどまで減り、出席可能な役員も10人に達しない状態に。機関紙の最終号は「文字通り“刀折れ、矢尽きた”状況になった」として会の解散に至りました。

 小笹さんによると、慰霊碑に刻まれている戦没者はゼロ戦など航空機による特攻の85人のほか、人間魚雷「回天」や大型飛行艇によるソロモン海戦の戦死者なども含む92人。軍の出身母体は甲飛、乙飛、丙飛、海兵などとなっています。

 年齢は最年少が小山良知・二飛曹(松代町)の16歳で、小山二飛曹は「八丈島から発進」と記録されています。17~18歳から20歳前後の若者が中心で、最年長の28歳は松本賢・飛曹長(長野市)、荒井等・中尉(戸隠村)、小山弥五郎・一飛曹(小海村)の3人でした。

1/2ページ

最終更新:9/17(日) 5:53
THE PAGE