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止まらない支援の声 レスラー高山善廣はなぜ愛されるのか

9/10(日) 13:00配信

VICTORY

5月4日に行われたDDTプロレスリング大阪・豊中大会のタッグマッチで高山善廣は、頚椎完全損傷の大怪我を負った。医師から「回復の見込みはない」と言われる重傷を負ったベテランレスラーを支援するため、9月4日には「TAKAYAMANIA」の設立が発表された。キャリア25年目のベテランレスラーの負傷により、プロレス界への批判や、現状の見直しを求める声も上がっているが――。

文=高崎計三

様々な舞台で活躍し、多くを残してきたキャリア

9月4日に行われた高山善廣についての会見が波紋を広げている。高山は5月4日、DDTプロレスリング大阪・豊中大会のタッグマッチに出場し、試合中に自ら仕掛けた前方回転エビ固めの失敗で頸髄を損傷し救急搬送され、以後欠場が続いている。都内で開かれた会見にはDDTの高木三四郎社長、有志代表の鈴木みのる、高山のマネージャーである石原真氏の3名が出席した。

会見での説明によると、高山は5月8日に大阪市内の病院で手術を受けたが当初は首から下の感覚がなく、呼吸もできない状態だったという。その後、自力呼吸ができるまでに回復し、関東の病院に転院。当初、「頸髄損傷および変形性頸椎症」と発表されていたが、改めて「頸髄完全損傷」という診断が下され、医師からは「回復の見込みはないと言われている状態」だという。

この状況を受けて、高山を支援する団体「TAKAYAMANIA」の設立が発表された。賛同するプロレス団体等の会場への募金箱設置、高山プロデュースによる興行の開催などを通じて治療費等の支援に充てられる。また寄付のための募金口座も公開された。

高山は1966年生まれ。大学卒業後サラリーマンを経て92年、UWFインターナショナルでデビュー。196cmの恵まれた体格は新人時代から注目されたが、当初の試合ではその体格を持て余している感も否めなかった。

その後成長を重ねて活躍の機会も増えたが、一つの大きな転機となったのは97年の全日本プロレス参戦。同じく長身のジャイアント馬場から、体格を生かした闘い方や立ち振る舞いについてアドバイスを受けてダイナミックなファイトに開眼し、馬場の死後、99年に全日本プロレスに入団。大森隆男と結成したタッグチーム「NO FEAR」で大暴れすると翌2000年には三沢光晴が立ち上げた新団体プロレスリング・ノアの旗揚げに参画した。

もう一つの転機となったのが、01年のPRIDE参戦だろう。特に同年6月23日、「PRIDE.21」で行われたドン・フライ戦では“PRIDE男塾塾長”フライと真っ正面から組み合っての嵐のような殴り合いを展開。敗れはしたものの、顔をボコボコに変形させながら一心不乱に拳を振るい続ける姿は観客を熱狂させ、今もファンの間では語り草となっている。以後、新日本プロレスなど様々な団体にも参戦し、いつしか“帝王”の異名で呼ばれるようになったが、04年には脳梗塞に倒れるという不運に見舞われた。しかしリハビリの甲斐あって06年に復帰、その後も多くの団体で活躍していた。

そんな高山についての会見での発表はファンや関係者に大きな衝撃をもたらしたが、同時にあちこちから支援への協力表明が出ているのは、彼がプロデビューから20年以上にわたって様々な舞台で活躍し、多くのものを残してきたからこそだろう。さらに、これだけの活動期間にもかかわらずトラブルめいた騒ぎを耳にした覚えが全くないという事実も大きい。かつて参戦したことのある団体にまたフラリと姿を現したりすること、そして各団体・各方面に広い交友関係を持っているのも、不義理をしていないことの証明だろう。

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最終更新:9/11(月) 7:45
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