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かつて高校生でキューバの主砲を封じた元巨人・小野仁の今 ようやく見つけた“やるべきこと”

9/11(月) 11:04配信

スポーツ報知

 かつて高校3年生でキューバの主砲をきりきり舞いさせた投手がいたことをご存じだろうか。秋田経法大付(現・明桜)の小野仁だ。1994年6月30日、宮城球場(現・コボパーク宮城)で行われた日本・キューバ対抗戦で打者4人に内野安打1本、主軸のパチェーコ、リナレスから2者連続3球三振を奪ったのだ。その後、巨人、近鉄を経て03年に退団。鮮烈な“デビュー”から23年後、41歳となった小野仁は何をしているのか。

【写真】巨人時代の小野の投球フォーム

昨年2月から人材派遣会社で働く

 「投げている感覚は今でも覚えていますよ。打たれる気はしなかったですね。調子こいていました」。17歳で当時、世界最強の呼び声が高かったキューバを本気にさせたあのときのことは今でも鮮明に覚えている。高校生で全日本入り。「平日なのに野球が出来る。学校行かなくていいんだ。ワーイって感じでした」。小野に会ったのは勤務している都内のオフィス。元プロ野球選手としての名残は、やや日焼けした肌、長身とがっちりとした体格くらい。笑みを絶やさない柔和な表情は、かつてギラギラとした勝負の世界にいたことを感じさせない。

 小野は現在、人材派遣会社「ブレイントラストパートナーズ」に勤務している。「プロ(野球)の同級生から話を頂いて、昨年の2月から働いています」。同社は大学の事務員や研究室の秘書などの人材派遣に強みを持つ会社だ。小野は同社内で昨年8月から元スポーツ選手に特化した「アスリートサポート」というプロジェクトチームを立ち上げた。野球選手にかかわらず競技生活を終えたアスリートの就職や転職の手助けだ。「何をやっていいか分からない、迷いのある元アスリートっていっぱいいると思うんです。微力ながら助けるサポートしたいというのが一番ですね。僕自身が一番それを経験しているので…」と苦笑いする。“経験している”の言葉にある現在の仕事につくまでの紆余(うよ)曲折の半生を振り返ってもらった。

プロではわずか3勝 イップスになる

 キューバ戦での好投が認められて、高校生では初となるアトランタ五輪出場のためのドラフト指名凍結選手となり、社会人の名門・日本石油(現・JX―ENEOS)所属し、2年後に逆指名で巨人入り(通常、高卒選手は3年間社会人野球に在籍しなければプロ入りできない)。新人時代は初先発初勝利を挙げたものの1勝止まり。翌年2勝したのを最後に勝ち星から見放された。最速151キロ、2軍では圧倒的に抑えても、1軍では制球を乱し痛打された。小野は「コントロールがアバウトなのに(コースの)端っこを狙いすぎてボールになる。甘くなると怖いので…。苦しくなって真ん中に投げて打たれる。その繰り返しでしたね」。サイドスローに転向するなど試行錯誤。「いろんな方にアドバイスをいただいたけれど、自分がしっかりしていなかった。信用して取り組むことが出来なかったですね。フォーム改造も納得していないけど、言われたからやるという感じでした」。02年オフに交換トレードで近鉄に移籍。そこでどん底を味わった。

 「イップスになってしまったんです」。心機一転、サイド気味のフォームからオーバースローの本来のフォームに戻そうとしたところ投げ方が分からなくなった。「かみ合わなくて、最後の年は散々でしたね。イップスであることを認めたくなくて、(周囲に)隠すし…」。近鉄在籍はわずか1年で戦力外通告を受けると大好きだった野球そのものを嫌いになり遠ざけるようになった。

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最終更新:9/11(月) 12:16
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