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<浪江町>患者の心に寄り添い3年 感謝胸に最後の診療

9/16(土) 9:34配信

毎日新聞

 ◇国保浪江診療所の常勤医 峯廻攻守さん(73)

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が今春、一部で解除された福島県浪江町の唯一の医療機関「国保浪江診療所」で常勤医を務める峯廻攻守(みねまわりよしもり)さん(73)が15日、最後の診察日を迎えた。原発被災地の復興に尽くそうと、札幌市内の病院から妻と福島に移住し、町民らを丸3年間支えてきた。「大変な苦労を経験した方々と向き合った日々は、貴重な財産です」。地域の行方を案じながら、町民への感謝を口にした。【尾崎修二】

 「先生はいつも『までい』に診てくれた。みんなが頼りにしていた」。二本松市内の仮設住宅に避難していたころから峯廻さんの診察を受けてきた70歳の女性は言う。までいは「丁寧」「心を込め」を意味する方言だ。

 峯廻さんは北海道滝川市出身。札幌医大を卒業後、内科医として道内各地で勤務し、約600床を有する札幌西円山病院(札幌市)では2014年春までの17年間院長を務めた。

 12年春、東北の津波被災地を妻と歩き、その傷の深さを目の当たりにする中で「復興に関わろう」と心に決めた。70歳の定年で院長を退くと、周囲の反対を押し切り、妻と福島に移住。14年10月に二本松市内の仮設住宅にある診療所で常勤医になった。多くの浪江町民が身を寄せていた。

 「避難先でいやみを言われたんです」。事故から3年半がたっても多くの患者がやり場のない思いを吐露した。事故直後の恐怖や避難生活の苦労、今後の暮らしへの不安……。仮設の一角にたたずむプレハブ建ての診療室で、ときに1時間以上、静かに耳を傾けた。

 古里を離れた土地での慣れない生活や、避難に伴う世帯分離で心労も重なり、町民の体調悪化も深刻だった。「診療所で待っていても、本当に困っている患者の支援にはならない」。非番の日はケアマネジャーらと仮設住宅を巡回し、アルコール依存症の患者や、引きこもりがちになった一人暮らしの高齢者を訪ね歩いた。

 今春、町役場内にできた浪江診療所では、所長の木村雄二さん(72)と2人で診療に当たった。町の居住者は400人に満たず、約半数が65歳以上の高齢者だ。「近所付き合いがなく、町に帰ってから出歩かなくなった」。こんな声を聞くたびに、避難先の仮設住宅で起きた問題が、再燃していると感じる。

 だが、被災地の3年間の奮闘で、古希を過ぎた体が悲鳴を上げており、妻と住む二本松市から片道1時間半の通勤も体力を奪っていた。赴任前に院長を務めた札幌の病院も人手不足となり、悩んだ末に戻ることを決めた。

 「先生、札幌に帰らないで」。顔なじみの患者にそう言われると心苦しい。「10年以上腰を据えて働いてくれる若手の医師が現れるのが理想。行政はもっともっと工夫してほしい」。頼りにしてくれた町民の顔を思い浮かべながら、原発被災地の再生を願っている。

最終更新:9/16(土) 9:34
毎日新聞