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安倍首相が解散で使った「国難突破」 実は戦時中に多用されていた

2017/9/27(水) 16:40配信

BuzzFeed Japan

解散総選挙には、いつも個性的な名前がつけられる。9月25日の会見で解散の意向を表明した安倍晋三首相は、今回の解散を「国難突破解散」と呼んだ。この「国難突破」というあまり耳に馴染みのない言葉。実は、戦前~戦時中によく使われていた。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

たとえば、1932年には「国難突破」というタイトルの国民歌(中川末一作詞、山田耕筰作曲)が発表されているし、1933年に東京・青山会館で「国難突破大会」が開かれている。

さらに1937年には多摩川で「挙国一致で国難突破」という名前の仕掛け花火が披露されている(8月12日、東京朝日新聞朝刊)。

当時の国民には、ずいぶんと知られていた言葉だったのかもしれない。

国会図書館でデータベースを叩いてみると、新聞紙面上で「国難突破」がよく使われるようになったのは、日中戦争の勃発した1937年ごろからであることがわかる。

これは、「国家総動員法」(1938年)や、日独伊三国軍事同盟の成立(1940年)、さらには「大政翼賛会」の結成(同)などを経て戦時体制が強化され、太平洋戦争(1941年)へと突き進んでいった時期と重なる。

たとえば、日中戦争が勃発した2ヶ月ほどあと、1937年9月10日の読売新聞夕刊1面には、こんな大きな見出しが踊る。

「国難突破に皇民一致せよ / 正に挙国総動員の秋 / 事変の推移予断を許さず」

これは第72回帝国議会の開院式で、当時の近衛文麿首相が国民に呼びかけた内容をまとめた記事だ。

勃発したばかりの日中戦争(支那事変)について、日本は「東亜の安定を望み」「世界平和」を求めていたにも関わらず、中国が「永年排日抗日を以て国策とし帝国の権益を侵し」たとして、その正当性を訴えた近衛首相。

「時局の重大性」が「予断を許さざる」ものであることを知らせると同時に、その対応を強化すべく「銃後の奉公」や「国民精神の総動員」を呼びかけている。

また、翌1938年の2月17日には「国難突破 緊急国民集会」が日比谷公会堂で開かれている。主催をしていたのは国会議員たちで「非常時局を指摘し、国難突破の必要を力説」する宣言を採択している(東京朝日新聞朝刊)。

近衛首相は国民に大きなメッセージを訴える際、「国難突破」をよく使っていたようだ。40年9月29日朝刊の読売新聞にも、こんな見出しがある。

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最終更新:2017/9/27(水) 22:25
BuzzFeed Japan

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