ここから本文です

フジタ・金子副社長×湘南ベルマーレ・水谷社長対談…「縁をずっと持ち続けていきたい」

10/12(木) 18:00配信

GOAL

日本サッカー界を驚かせ、そして感動させた湘南ベルマーレとかつてのメインスポンサー、株式会社フジタのユニフォームパートナー契約。長引く平成不況のあおりを受ける形で業績が悪化し、断腸の思いとともにベルマーレ平塚(当時)からフジタが撤退したのが1999シーズン後。時代の流れとともに状況も変わった中で、敬意と熱意を持って袖スポンサー契約を提案した湘南の水谷尚人代表取締役社長と、Shonan BMWスタジアム平塚のシーズンチケットを購入して、撤退後も愛情を込めて湘南を応援してきたフジタの金子賜代表取締役副社長の特別対談を介して、今シーズンから18年ぶりに復活した両者の絆がもたらす価値をあらためて検証する。

――湘南ベルマーレのシーズンチケットは、いつ頃から購入されていたのでしょうか。

金子 ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した1994シーズンからですね。当時はチケットがなかなか買えず、シーズンチケットを持っていないと見に行けない時代だったので、2席購入していました。息子がサッカーをやっていたので、女房を含めた家族の誰かが行っていました。ただ、その後は私も仕事で行けないことが多くなり、当日でもチケットが買えるようになってきたので、シーズンチケットはもったいないかなとなって。観戦しに行く時は当日券を購入していましたけど、4、5年ほど前からようやく週末を休めるようになったので、またシーズンチケットを買うようにしました。水谷社長とは3年か4年前の試合中に、初めて名刺を交換したんですよね。

水谷 同じくシーズンチケットを購入されている共通の知人がいて、その方からメインスタンドで紹介されて、その場で名刺を交換させていただきました。昨年9月に副社長とお会いする前も、まずその方に連絡を入れたんです。そうしたら『直接行った方がいい』と言われて、メールをお送りさせていただいた次第です。

金子 メールをいただいたのが8月だったかな。最初の話ではユニフォームパートナーへの復帰というよりも、前身の藤和不動産サッカー部が創部されてから2018年で50周年になるので、その協力をお願いします、という内容でしたよね。ならば、直接お話ししましょうとなって。

水谷 うかがわせていただきました。渋谷区千駄ヶ谷にある本社内のこのお部屋でお会いしたんですよね。私どもとしては、50周年の節目に藤和不動産時代にプレーされたセルジオ越後さん、ベルマーレ平塚時代の中田英寿君や初代監督の古前田充さんといった縁のある方々が集まる場があってもいいよね、という話をベルマーレ平塚時代から在籍しているスタッフと話していました。その過程で、ずっと支えてきてくれたフジタさんともう一度縁ができるのが、一番いい絵なのかなと考えるに至ったんです。

金子 そうでしたね。来られた時に『実は袖スポンサーが空くので、お願いできませんでしょうか』という話になって。

水谷 副社長とやり取りさせていただいてメールに『最近の業績は悪くない』と綴られていたことがありましたので、これは脈があるかなと思い、セールスシートなどを用意した上で、突然で失礼ながら提案させていただきました。

金子 その時は私一人でお話を聞きましたけど、実は広報のほうで業績回復に合わせた取り組みをいくつか検討していて、その中に『湘南ベルマーレのスポンサーに戻る』というのがあったんです。ただ、ユニフォームでどこか空く箇所があるのだろうかという話をしていましたし、今頃戻ってベルマーレ側がどのように感じるだろうか、過去の経緯を知っているファンやサポーターの方々に不快な思いをさせてしまうのではないだろうか、という思いがあったわけです。そこへ水谷社長から提案をいただいた。これはいい機会だということで、広報に話を戻して直接話をしなさいと、管理本部の三村百宏総務部長に任せたわけです。

――お互いは気がついていませんでしたが、実は相思相愛の状態にあったわけですね。

金子 会社が少し上向きになってきたので、変な話ですけれども、私自身としては過去にやむを得ず失ったものを少しでも取り戻していきたいという思いがありました。そうすることで、社員の活力も生み出すのではないかと。

水谷 元々縁があった親が離れて、何年か経ってから戻ってきてくれるというのは、僕というかベルマーレというクラブの中では何もおかしくないことだと思っていました。ただ、フジタさんが責任企業だった頃からいるスタッフは、逆に動けなかったというのはありますよね。だからこそ、私みたいに当時クラブにいなかった人間の方が、思い切りよくいけたのかもしれない。新しい世代になるたびに過去をスパッと切っていくのは日本的ではないと言いますか、歴史をしっかりと理解して、その上に成り立っているのが今現在の私たちだという認識は必要だと思っていますので。

金子 後はもう総務部長に任せきりでしたね。僕のところに相談に来ると『勝手にやれ』と(笑)。

三村 当社にとってベルマーレは特別な存在であり、その重さは感じていましたので、さまざまな葛藤もありましたが、一方で社員も待っていたような感じも受けていました。「ベルマーレの話、いいことなんじゃないでしょうか」という雰囲気が私の周囲でも出てきていました。

水谷 若い社員の中には、ベルマーレとの歴史を知らない方もいらっしゃったのでは。

三村 それがかなりいたんです。私も知らない世代だと思って話をすると『知っています』と。

金子 ベルマーレ平塚の時代だけでなく、前身のフジタ工業サッカー部だった時の社員もかなり残っていますので。私も高校でサッカーに明け暮れている時に、創部されて間もない藤和不動産サッカー部があれよという感じで日本リーグに昇格してきて、何だかすごいチームが出てきたなと思っていた一人でしたから。大卒で入社したのが1975年で、その年の秋にフジタ工業サッカー部に改称されて、エッと思いましたからね。翌年には練習グラウンドを平塚市の大神に移しましたけど、そこでは当社の運動会も開催されていてね。当時を知っている社員にとっては、うれしいんじゃないかと思いますよね。

――実際にユニフォームパートナー契約を結ぶことになり、袖スポンサーとして18年ぶりに復活することが決まりましたが、リリースなどを控えたいと申し出たと聞きました。

三村 大々的に発表するのはどうでしょうか、というご相談はしました。

水谷 副社長が先ほどおっしゃられたように、いろいろと危惧されているところもあったからだと思います。一度離れたスポンサーが戻ってくる、ということに対して反発もあるのではと考えてのことだったと。私たちがフジタさんから聞かれたのは『サポーターの方々はどのように思うでしょうか』というところでしたので、『間違いなくウエルカムですよ』という話はさせていただきました。

金子 新聞でも取り上げられたことに驚きましたよね。水谷社長からは『日本のスポーツ界では異例のことで、メディアの反応もいいですよ』と説明されて、本当にそうなのかなと思っていましたけど、メディアの方々にも温かい雰囲気で書いていただいた。

水谷 私はスポーツ界全体がこうなってほしいと思うんですよ。企業なので業績がいい時もあれば悪い時もあるし、だからこそよくなった時に戻って来られる絵を描ければ全員が幸せなのではないかと。一度でもお付き合いした方々との縁を大切にするのは当たり前のことですけれども、湘南はその縁をずっと持ち続けていきたいと考えているクラブなので。




――迎えた3月4日のホーム開幕戦。ザスパクサツ群馬に3‐1で快勝したShonan BMWスタジアム平塚のゴール裏には、『再びフジタと共に歩めることをうれしく思います』と書かれた横断幕が登場しました。

水谷 総務部長は一目散に走っていって、横断幕の写真を撮られていましたよね。

三村 もう泣きそうになってしまって。

金子 ホーム開幕戦もよかったけど、9月2日の『フジタスペシャルデー』もよかったですね。当社の奥村社長があいさつした時に、ベルマーレサポーターの方だけでなく、対戦相手の横浜FCのサポーターのみなさんも含めてシーンとなって聞いていただいてね。コレオや横断幕もだしていただいて、サポーターとのつながりを感じられた、社員として感動的なシーンでしたね。

――「(湘南とフジタは)泣き別れた兄弟みたいなもの。スポンサーに復帰することによって、また堂々とベルマーレを応援できることは、フジタの社員にとっては本当に大感激……」というあいさつに、スタンドから万雷の拍手を浴びていましたよね。

水谷 すごく心を打たれるお話でしたよね。クラブの営業的にはその後に『これからもベルマーレを強く熱く応援していきたい』と言っていただいたので、よしっと(笑)。

金子 あれが一番でしたね。試合はああいう結果(後半アディショナルタイムのラストワンプレーで失点して2‐2のドローに終わる)になりましたけど、それもサッカーだからいいんじゃないですかね。

――今季から新たに始められた取り組みなどはございますか?

金子 6月にベルマーレが主催したコパベルマーレにも協力させていただきました。実際に大会の様子も見させていただき、クラブとして、こういったことに取り組まれていることはとても素晴らしいことだと思いました。その他にもベルマーレの強化特待チームが参加した、U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジに当社も協賛させていただきました。ベルマーレの強化特待チームは予選を全勝で突破して、決勝トーナメントではバルセロナと白熱した戦いを演じてくれました。こういった経験は子供たちにとってかけがえのない財産になると思います。ですので、こうした育成の機会にも引き続き賛同できればと思っています。

三村 (ジュニアサッカーワールドチャレンジの)予選突破の瞬間は、水谷社長と抱き合って喜んでしまいました。とてもレベルの高い、感動的な試合でしたね。子供たちが一試合ごとに成長する姿を見ることができて、とても感動しました。

水谷 本当に思わず抱き合ってしまいましたね(笑)。我を忘れるくらい感動的な瞬間でしたよ。

――メインスポンサーを務めたベルマーレ平塚時代と今とでは、違いのようなものは感じていますでしょうか。

金子 ベルマーレ平塚時代は練習拠点が大神グラウンドでしたからね。相模川が暴れた時はちょっと大変でしたけど、クラブハウスが非常にいい状態で、他の設備も割と整っていたプロらしいチームだったのかなと。2年ほど前にクラブハウスを兼ねた温浴施設を作りたいということで、私も個人として寄付させてもらったので、どのような施設になったのかと、スポンサー復帰の記者会見時に見に行ったんですよね。その時にはトレーニングルームも見させてもらいましたけど、当時と比べるとちょっと可哀相な施設かな、というのが正直な思いでした。それでも、やっとここまで来ました、と説明されたので。

水谷 お借りして増やして、広げてという状況でしたので。

金子 その意味では、ベルマーレ平塚の時とはかなり違うのかなという気がしました。厳しい言い方になりますけど、そこをもうちょっと何とかしないと、プロの選手たちが長くプレーしてくれないんじゃないか、という気にはなりました。将来に向けての課題ですよね。

水谷 あの大神のクラブハウスは、たしかロールプレイングゲームの『サカつく』のモデルでしたからね。Jリーグの中でも、それほど素晴らしいクラブハウスでした。ただ、今の練習場は公園の中ですからね。

金子 そこが難しいところですよね。

水谷 ただ、公園の中の容積率うんぬんという記事が、最近メディアに出ていたんです。これまでに比べて、行政と話す中でも可能性が出てきている、とも思うんです。

――長く観戦されてきて、スタンドの変化というものは感じていますでしょうか。

金子 Jリーグの最初の頃は、サッカーをよく知らない方々が多かったかなという気がしますね。何でレフェリーが笛を吹いているのとか、オフサイドって何と言う人が多かったけど、今はかなり違いますよね。何よりも固定のファンやサポーターが増えてきた。ここ数年、走り回る面白いサッカーをするようになった効果だと思います。

水谷 スイッチが入る瞬間というのを皆さんで共有できるような、そういう空気感というのが一番楽しいですよね。イングランドなんかの試合を見ていると、チャンスの瞬間にスタジアム全体がウワッとなるじゃないですか。あれが生まれてくると、サッカー場というのはよくなりますよね。

金子 以前は前半だけバーッと走っても、後半は息切れしていた。もうちょっと調整したら、という感じだったけど、最近は最後まで走り通せるし、試合が終わって倒れている選手が減りましたからね。その意味では体力がついてきたというのと、個人の技術力が向上しましたよね。以前は変にバックパスなんかしたら奪われそうになっていたけど、最近はそういうミスも減った。それでいてワンタッチでパスがつながり、前にいる味方をどんどん選手が追い越していく。すごくワクワク感のあるサッカーだと思いますよ。フジタのサッカーはそういうサイド攻撃が、名良橋晃君たちがいたベルマーレ平塚の時もサイド攻撃が特徴だったので、再び戻ってきたのかなと。ただ、あの頃に比べれば格段の差がつくほど走っていますよ。走ればいいってものじゃないと思うけど、でも走ることで試合の局面がパーンと変わる瞬間は本当に面白い。あれはドキドキしますよね。

水谷 もちろん勝つためにプレーしていますし、勝った、負けたという結果は大きいですけど。僕が言うのも何なんですけど、負けてもお客さんが満足してくれるためには一体感というか、共感を生む空間を作るしかないと思っているんです。なので、曺貴裁監督はこういうサッカーをやりますと言ってくれていますし、クラブとしてもそれをアナウンスしている。ウチは大きなクラブじゃないですけど、そこはひとつのポイントになってきているのかなと思います。

――お気に入りの選手はいらっしゃいますか。

金子 私は特にいないんですけど、今は群馬に住んでいる息子が応援している神谷優太君には、頑張ってほしいな、というのはありますね。9月16日のカマタマーレ讃岐戦で久しぶりに先発しましたけど、試合開始前、競技場にいる私に『出るのなら、観に行けばよかった』と息子からメッセージが届きましたからね。

水谷 事前には言えないので、申し訳ありません(笑)。ただ、5月のFIFA・U‐20ワールドカップの直前に代表メンバーから外れた悔しさもあるので、神谷は頑張ると思います。

金子 神谷君もそうだし、ルーキーの杉岡大暉君にもね。

水谷 来年の50周年では、その2年後の2020年に東京オリンピックが控えていることもあって、今名前を挙げられた神谷や杉岡、そして齊藤未月や石原広教ら出場資格のある若手が選ばれれば最高ですし、東京オリンピックを目指しているベルマーレのファミリーで言えばトライアスロンやビーチバレーの選手もいるので。藤和不動産やフジタ、ベルマーレ平塚に携わった方々を含めて、全員が仲間だよ、という絵を描けたらと思っているんです。











――その50周年ですが、いろいろと企画はされているのでしょうか。

水谷 たくさんフジタさんに提案させていただいています(笑)。ただ、突拍子もないようなこと、というのはないですけどね。一番は以前より関係された皆さんに集まっていただきたいですし、どのクラブにもあるかは詳しくわかりませんけど、在籍した選手やスタッフの名簿もないんですよね。それを作り直そうというところで、スタッフたちが中心になってやっています。

金子 1990年代はフジタ天台SCマーキュリーという、女子のサッカーチームも持っていましたからね。私と一緒に現場で働いたことがある社員がチームの事務局に入っていて、応援に来てくださいと言われたので、地元に帰ってきた時は大和市の方まで見に行きましたよ。

水谷 もちろん女子も名簿を揃えて、声をかけたいですよね。仲間ですから。名簿に関しては藤和不動産やフジタの時代から作り直そうとしているんですけど、聞いた話ですが、東京ヴェルディは読売クラブの時代からジュニアユースの名簿が揃っていて、アカデミーのOB組織もちゃんとあるんですよね。それはチームに関わった全員の財産じゃないですか。大変な作業ですけど、厚木市内に住まれているベルマーレの下部組織の一期生の方から、『アカデミーは私がまとめます』と言ってもいただいて。今年の春の叙勲で旭日双光章を受賞したセルジオ越後さんのパーティーには、藤和不動産におられた方々もかなり来られてかなり盛り上がり、私も初めてご挨拶もさせていただきました。

金子 創部当初は栃木県の藤和那須リゾート内を本拠地にしていたからね。

水谷 素晴らしい施設だったとうかがっています。偶然ですけど、新宿駅でJRの路線地図を見ていたら、藤和那須リゾートの最寄り駅である黒磯が一番右上にあって、一番左下には国府津駅があってその3つ右に平塚がある。そして、ちょうど真ん中のあたりが、今のフジタの本社ですから。すべてが路線図にピタッと収まっていると、思わずにはいられませんでした。

金子 確かにそう言えるかもしれないですね(笑)。

水谷 藤和不動産時代の主力選手で、フジタ工業の監督も務めた石井義信さん(現FC東京アドバイザー)からも、名簿に関しては『整備しよう』と言っていただいています。

――少しずつ輪が広がっている感じでしょうか。開催時期ですが、やはりシーズンの開幕前がベストなのでしょうか。

水谷 全員で気勢を上げて始めようとなると、そうなりますよね。今では『場所はどうするんだ』という話にもなっていて、本来ならば馬入でやれたらいいんですけど、雨が降ったらどうしよう、というのもあるので。

金子 シーズン中にやるわけにもいかないからね。ただ、その時はJ1のチームとして迎えないと。これから恐らく昇格へのプレッシャーを感じてくると思うんだけど。

水谷 選手は常に一生懸命プレーしているんですよ。副社長のように言っていただけるとありがたいんですけど、何となく大丈夫だろうという空気感というものが、周囲にどことなく生まれてくる。そこは監督が一番苦労していると思います。

金子 あとはエレベーターのようにJ1とJ2を行ったり来たりじゃなしに、上手く立ち止まってくれれば。

水谷 前回昇格した時に、監督も言っていた『定住』ですね。以前のことを考えると、行ったり来たりするようなところまでよく来たな、というのもありますが、みなで次のステージに上がっていくタイミングですね。とにかく、最後まで全力で頑張ります。

●インタビュー・文=藤江直人(ノンフィクションライター)

GOAL

最終更新:10/12(木) 18:03
GOAL

スポーツナビ サッカー情報

海外サッカー 日本人選手出場試合