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<蓮池さん>拉致家族、絆取り戻す時間必要 解決一刻も早く

10/12(木) 18:58配信

毎日新聞

 北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して、15日で15年になるのを前に、被害者の一人、蓮池薫さん(60)が新潟県柏崎市内で毎日新聞のインタビューに応じた。蓮池さんは「私や家族にとって、かけがえのない15年だった」と振り返った。その一方で「被害者家族の高齢化が進んでいる。秒読みとも言っていいような切迫した問題」と今も故郷の地を踏めずにいる被害者の早期帰国を訴えた。

 「帰国してからの15年間は、自分の意思で人生を自由に切り開いていけた日々だった。北朝鮮にいた24年間とは対照的な時間で、それは私の子どもたちにも言えることだと思う」

 蓮池さんは中央大学法学部に在学中だった1978年7月31日、当時交際していた妻祐木子さん(61)と新潟県柏崎市の海岸で拉致された。

 北朝鮮では日本の出版物を翻訳する仕事を命じられ、招待所と呼ばれる施設での生活を強いられた。「帰国したいという思いはあったが、考えてもつらくなるだけだったから、ずっと抑え込んできた」と振り返る。

 風穴が開いたのは、2002年9月の日朝首脳会談だった。北朝鮮は日本人の拉致を認め、翌10月に蓮池夫妻、地村保志さん(62)、富貴恵さん(62)夫妻、曽我ひとみさん(58)の5人が帰国を果たした。

 「故郷に帰った瞬間、抑え込んできた気持ちがあふれ出した」。蓮池さんは北朝鮮には戻らない、という決断を下す。しかし、北朝鮮に長女(35)と長男(32)を残したままだった。家族が離ればなれになることに祐木子さんは猛反対したが、「自分で人生を選ぶ生き方は北朝鮮ではできない。リスクはあるかもしれないが、政府を信じ、日本で子どもたちの帰国を待つべきだ」と考えたという。

 子どもたちの帰国は1年半後に実現した。蓮池さんは柏崎市役所に臨時職員として勤めながら、一家4人での生活を取り戻した。それでも、気持ちは落ち着かなかった。「自分の人生の『居場所』が見つけられなかった」ためだ。

 「拉致される前は法学を勉強していたが、今から学び直して、法律で生きていくことはできない」。自分に何ができるかを模索していた時、知人から韓国の書籍の翻訳の仕事を紹介された。役所勤めとの二足のわらじは楽ではなかったが、周囲の協力もあって05年5月に出版にこぎ着けた。「あの国の言葉を武器に生きていく」--。翻訳という仕事が蓮池さんが見いだした「居場所」だった。

 沈黙を守っていた拉致問題に対し、声を上げるようになったのもそのころからだ。

 「日本政府は核・ミサイル問題を解決するために独自の寄与をしつつ、日朝交渉では拉致問題を最優先にすべきだ」「問題が解決すれば、それぞれの段階に応じた見返りを北朝鮮に与えることも考えなければならない。全てが解決すれば国交正常化交渉の開始などを盛り込んだ平壌宣言の履行という『未来』を示すことも必要だろう」。今では、新潟産業大で准教授を務める傍ら、各地の講演などで政府への提言もする。

 「子どもたちも自立の道を歩んでいる。きっと日本に来て良かったと思っているはず。帰ってきた喜び、生きがいが大きいからこそ、他の人が帰って来られない状況がもどかしい」

 蓮池さんは「人生には夢と絆が必要だ」と語る。夢とは自由に人生を生きる選択肢を持つことであり、絆とは家族とのつながりだという。この二つを引き裂いたのが、拉致事件だ。

 「拉致問題は被害者が帰ってきて終わりではない。その後に夢と絆を取り戻すには、時間が必要になる。だから、一刻も早く解決しなければいけないのです」。蓮池さんはそう訴え続ける。【川崎桂吾】

 【ことば】北朝鮮による拉致事件

 1970~80年代に日本人が不自然な形で、相次いで行方不明になった。北朝鮮の工作員らの関与が指摘され、2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は日本人の拉致を認め、謝罪した。日本政府が認定した被害者17人のうち蓮池薫さんら5人が同年に帰国。しかし、北朝鮮は横田めぐみさん(行方不明時13歳)や有本恵子さん(同23歳)ら8人については「死亡」と主張、松本京子さん(同29歳)ら4人は「未入国」としている。

最終更新:10/13(金) 0:05
毎日新聞