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ホンダからザウバー広報担当へ。糸賀晶子「F1でやり残した仕事があった」

10/12(木) 20:19配信

motorsport.com 日本版

 元ホンダのF1担当広報女史の糸賀晶子は、2017年の2月末にホンダを退社して、現在ザウバーF1チームのデジタル・コミュニケーション・マネージャー(広報のデジタル担当)として働いている。彼女がF1で働いていた2014~17年の2年半、ホンダがエンジンを供給するマクラーレンは不調の際にあり、満足のいく成績は得られなかった。糸賀の仕事は直接チームの成績とは関係ないとはいえ、やはり成績が良い方が仕事もやり甲斐がある。

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 2016年12月、糸賀にはF1の現場から日本へ呼び戻す内示が伝えられた。企業の人事は個人の考えに与することなく行われる。糸賀は、マクラーレン・ホンダが不調から脱する過程を広報担当として支えていたかったが、異動の辞令には抗えなかった。しかし、彼女はF1でやり残した仕事があると感じ、大きな賭をした。ホンダを辞する決断を下したのだ。

「2014年10月からホンダのF1活動に携わり、2年半現地広報として働きました。でも、F1の世界を知るには2年半は短い。自分の今後の人生のためにも、もう少しやりたいと思い、ホンダを辞してF1に留まることにしました」

 糸賀にはF1でやり残した仕事があった。彼女は「もう少し前向きにF1広報活動をやっていきたい」と思ったのだ。「せっかくこれからというところだったので、もっとF1での広報活動を突き詰めたい」と。

 彼女が不完全燃焼に陥ったのは、ホンダの広報活動がF1というグローバルなオペレーションに寄り添えなかったからだ。F1から発進する情報は、公用語の英語で全世界に向けて同じ情報が一瞬にして拡散される。糸賀の発する情報は、マクラーレン・ホンダというワークスチームの一員としてのホンダF1が発信する情報であり、大企業ホンダだけのものではない。チームの広報はホンダ独自の専門的な情報の発信と、マクラーレン・ホンダというチームの発信をTPOを選びながら臨機応援に発信する必要があるが、ホンダはホンダとしての独自の情報を発信したかった。そこに糸賀と日本のホンダ広報部F1担当の間に齟齬が生じた。その齟齬はついに解消せず、糸賀は異動のタイミングでホンダ退社という結末を迎えた。

「ホンダは日本の企業としてはグローバルな会社だと思います。チャレンジ精神も開かれたコミュニケーションもあります。でも、F1は本当にグローバルなオペレーションであるということを理解していただきたかった。日本側は情報のコントロールを望んできましたが、現場での情報コントロールは外から到底出来るものじゃない。時差もあれば、日本と海外のメディアには情報の受け方の違いがある。また、日本と海外ではそもそもホンダのブランドに対するイメージや知識も異なるので、ホンダ単独で強引な発信を行っても伝わらない。海外のメディアに理解してもらうためのベストな説明方法を考え、場合によってはマクラーレンと事前調整することが必要。そういう理解をして欲しかった」

 日本のホンダからF1を見るのと、F1の現場でそれを体験するのでは、少なからず見解の差は生じる。その溝を埋めるのはどちらかの側ではなく、両方の歩み寄りだ。

 もちろん、ホンダに留まることも出来た。F1以外の部署で糸賀の才能を生かす仕事はいくらでもあったはずだ。彼女はホンダで過ごしてきた16年間に、海外物流から始めてアメリカにトレーニーに出ていき商品開発をやり、日本に帰ってきてからは中近東・アフリカのディストリビューターと一緒に4輪車の販売を担当した。その後広報部に移り、商品・企業・グローバル広報の担当し、その後イギリス駐在になってそこからF1へ異動になった。16年間、忙しく駆け抜けてきたホンダ人生だった。

「ホンダでは大変多くの勉強をさせていただいたんですが、F1に関してはもうちょっと深く知りたいと思ったんです。F1の世界は奥深いと思いました」

「ホンダを辞めてからは、F1を中心に海外での仕事を探しました。しかし、ホンダから与えられたイギリスのビザにはクーリングオフ・ピリオドという期間があって、退社後1年間イギリス国内では働けないんです。すると、F1関係のPR会社で香港にある支社で働かないかとか、お話を色々いただきました。そんな中、巡り合わせでザウバーから興味を持っていただいて、今年の3月にモニシャ・カルテンボーン代表から『スイスの施設を見にきませんか?』というお誘いを受けたんです。4月の半ばに正式な仕事のオファーをいただいて、ザウバー行きを決めました。すると、そのすぐ後にホンダがザウバーにエンジンを供給するという発表があったのです」

 糸賀は驚いたが、結局8月にホンダエンジン供給の話はなくなった。そして、糸賀がザウバーで働き出す前に彼女を誘ったカルテンボーン代表がチームを去り、糸賀はひとりの知人もいないスイスに移ることになった。しかし、ひとりの寂しさなどF1で自分を試せるチャレンジに比べると取るに足りないものだった。糸賀はスイスに居を移し、9月半ばのシンガポールGPからパドックに戻ってきた。

「ザウバーで働き始めてまだ2週末目です。スイスの気候なのか、最近まで蕁麻疹が出て大変でしたが、今は回復の方向に向かっています。スイスでは生活環境の変化や、牛乳などの成分が影響して喘息になったり蕁麻疹が出たりする人がいるみたいです。ザウバーという新しいチームと仕事での参戦となりましたが、パドックでの仕切りや接する人々は基本変わらないので、またF1現場で頑張ってみます」

赤井邦彦

最終更新:10/12(木) 20:19
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