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阪神新井が引退を決断した兄の言葉/感謝の独占手記

10/12(木) 16:06配信

日刊スポーツ

 阪神新井良太内野手(34)が11日、兵庫・西宮市内の球団事務所で現役引退会見に臨んだ。涙はなく終始笑顔を貫き、引退決断の理由については「数字に対するけじめ」と表現した。誰からも愛された元気印は胸の奥にどういう気持ちを秘め、最後の1年間を走り抜いたのか。日刊スポーツに独占手記を寄せ、周囲への感謝を何度も言葉にした。

【写真】同じ表情で吠える新井貴浩・良太兄弟

 日刊スポーツ読者の皆さん、新井良太です。今シーズンをもちまして現役引退をさせていただくことになりました。現役生活はつらいこと、苦しいことがほとんどでしたけど、甲子園でプレーできる、タイガースファンの大歓声の中でプレーできる、お立ち台に立てることを励みに頑張ってこれました。温かいご声援をありがとうございました!

 監督、コーチ、裏方さん、チームスタッフの皆さん、そして先輩、かわいい後輩たち。本当にこんなに良くしてもらっていいのかな、というプロ12年間でした。昨日の試合後、食事の席で両親に伝えました。「ここまで人に良くしてもらえたのは、厳しく教育、しつけをしてくれた親のおかげです」と。父は「取って付けたようなこと言うなよ」と照れくさそうでしたけどね。ウソをつくな。言い訳するな。男らしく生きろ。そう教育してもらって今があると思っています。

 今年の夏場ごろから、引退について考え始めました。今年は今まで以上に腹をくくって迎えたシーズンだったので。1軍に上がれない期間は毎日「辞めようかな」、試合で打ったら「まだいけるんちゃうかな」の繰り返し。でもプロ野球選手は1軍で結果を出してナンボなので。

 一番最初、7月に相談したのは兄(貴浩)でした。両親はもうちょっとやってほしそうだったけど、兄は「オマエの人生なんだからオマエが決めたらいい。どちらにしろ応援するから」と親身になってくれました。兄から「こうしろ」じゃなく「自分で決めろ」と言われたのは34年間で今回が初めて。最後は数字のケジメをとらないといけない、と自分で決断しました。

 今年はいい勉強をさせてもらいました。自分のような年齢の選手がずっと2軍にいると、若い選手に悪影響を及ぼす可能性もある。そうならないように必ず1番に練習へ向かうようにしていたら、いつしか鳴尾浜で一番最初に球場入りした選手が止める駐車スペースが、僕の「ポールポジション」と呼ばれるようになっていました。

 2軍で打っても1軍に呼ばれなかった時期、周りの人が「チャンスないね」と気を使ってくれました。でも僕はそうは思わなかった。僕だって数年前までは、若いというだけで人より多くチャンスをもらった。居場所を奪い取れなかったのは自分の技術不足、未熟さに尽きる。自分の責任なのだから、今はすっきりした気持ちです。

 振り返れば、中日時代の5年間がなければ12年間もプレーできたかどうか…。キャンプでは4秒に1回のペースで1時間マシン打撃で振り続けて、1対1のノック1時間の後、もう1度マシン打撃を1時間。皮がひっついてバットから両手が離せなくなって…。当時の映像を見た後輩が驚くほど激しい練習でしたけど、鍛えてくれた方々には感謝しかありません。

 今、あらためて思います。自分は野球を「やらせてもらっていた」と。周りの人に支えられて自分がある-。これから何をするにせよ、それだけは忘れずにやっていきたいと思います。(阪神タイガース内野手)

最終更新:10/12(木) 16:14
日刊スポーツ

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