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幅13メートル東西大路、方形のまち区画=新たに邸宅跡も、14日公開-多賀城の山王遺跡

10/13(金) 12:18配信

時事通信

 奈良・平安時代に陸奥国(むつのくに)の国府が置かれた多賀城の南側に、碁盤の目のような道路網と方形に区画されたまち並みが形成されていたことが、宮城県多賀城市の山王遺跡の発掘調査で明らかになってきた。

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 市教育委員会は、まち並みの中心部に当たる場所で新たに発掘された幅12~13メートルの東西大路跡などを14日に一般公開する。

 多賀城は中央政府が陸奥国を統治するために設置した役所。約900メートル四方を築地塀で囲まれ、中央に政務や儀式を行う政庁があり、城内には兵士の宿舎なども置かれるなど、古代東北の政治、文化、軍事の中心地だった。跡は国の特別史跡に指定されている。

 今回公開されるのは、多賀城から南へ延びる南北大路とメインストリートとされる東西大路が交差する場所から、西へ五つ目の区画を中心とした範囲。両側に側溝を備えた東西大路は路面を補修した跡もあり、7~8回の改修工事を経て幅13メートルまで拡張され、8世紀後半から11世紀前半ごろまで使われたとみられている。

 また、大路に隣接する区画から見つかった大型の建物跡も公開される。柱を据えるために掘った穴が一辺約1メートルと大きく、中央から派遣された国司の邸宅跡と推定されている。建て替えを経て計6棟が存在したとみられる。さらに、東西大路から南に約120メートル離れて並行する道(幅6メートル)など、碁盤の目を裏付ける場所で発掘された道路跡も公開対象だ。

 埋蔵文化財調査センターの担当者は、「まち並みの根幹となる東西大路が邸宅跡も含めてまとまった範囲で見つかり、連動する小路も確認された。多賀城の歴史を解明する上で重要だ」と話している。 

最終更新:10/13(金) 12:53
時事通信