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「ギロッポン」より「マツロッポン」 今、福岡で一番熱い街・六本松 閑古鳥からV字回復

10/13(金) 12:13配信

qBiz 西日本新聞経済電子版

 「へえ~。六本木(ギ)じゃなくて、六本松(マツ)なんだね」
 福岡を訪れた東京の人はよく、こういう反応を示す。

 福岡市中央区六本松は今、人口150万人を突破した福岡市の中でも「最も熱い街」と言っていいだろう。東京風の俗語で言えば「ギロッポン」ならぬ「マツロッポン」だ。もともと街のシンボルだった九州大学のキャンパスは8年前に移転、景気低迷も相まって「冬の時代」が続いていたが、今年9月に再開発の核となる複合施設が誕生。転勤族の注目も高まりつつある。

年間360万人の来館目指す

 「わあ、こんなに並ぶの」。ある金曜日の午後、福岡市営地下鉄六本松駅を降りた家族連れが、驚きの声を上げていた。地上に出る階段の途中に<最後尾>と書かれたプラカードを持った係員がいたからだ。お目当ては、開業間もない福岡市科学館。「きょうはまだましな方ですよ」。係員の言葉に家族連れは「じゃあ仕方ないね」と列に加わった。

 地上には、長年親しまれた古びたキャンパスがあったかつての六本松とはまったく異なる風景が広がっている。目に飛び込んできたのは、レンガ色と白の格子柄がモダンでアカデミックなムードを醸し出す建物。九州最大級のプラネタリウムを備える科学館を核にした複合ビル「六本松421」だ。六本松4丁目2番1号という住所から名付けられたというそのビル名ひとつとっても、斬新さを感じる。

 延べ床面積約3万7000平方メートル。3階以上は低層棟(6階建て)と高層棟(13階建て)に分かれ、低層棟には科学館や九州大法科大学院が入居。高層棟には住宅型有料老人ホームがある。1、2階の商業エリアにはスーパーや飲食店、蔦屋書店の九州の旗艦店が入った。開発主体のJR九州は、科学館と商業エリアで年間計360万人程度の来館を目指す。

2度の試練を乗り越え

 「六本松」という地名は、江戸時代、福岡城の城下町に近いことを示す目印になっていた6本の松に由来するという。ちなみに東京の「六本木」という地名も、一説には6本の松の古木があったからとされており、興味深い。

 六本松が学生街としての色合いを帯び始めたのは、1921年11月、後の九州大学の一部となる旧制福岡高等学校が設置されてからだ。63年には九州大学教養部が置かれ、学生たちが肩で風を切って歩くようになった。

 「『毎日が正月の太宰府天満宮ぐらい混んでいる』と言われていたもんです」。開業して53年になる「メガネの光和堂」の2代目、大島達男さん(55)は振り返る。当時の六本松は路面電車とバス通りが交差する交通結節点。65年の地図を見ると、一帯には個人商店がびっしりと連なり、ボタンだけを売る店や、小鳥店まである。

 そんな六本松に最初の試練が訪れたのは、2.5キロしか離れていない都心部・天神に次々と百貨店などが進出した70年代中盤以降。次第に客が離れ、物販店が少しずつ姿を消した。それでも街が活気を失わなかったのは、九大あってこその話だった。

 その九大が2009年、六本松から西区に移転。二度目の試練が襲った。学生、教職員計約6000人が消えてしまったのだから、商売には「ボディーブローのようにこたえた」(大島さん)。何とか持ちこたえていた飲食店もひとつ、ふたつと減っていき、窓から漏れる明かりも消えた。

 閑古鳥が鳴く街に希望を与えたのが、九大跡地の再開発構想だった。2014年、2万1000平方メートルの土地をJR九州が落札、商業施設や分譲マンションなどが入る二つの複合施設を建設する方針を明らかにしたのだ。

 朗報に、地元の商店主たちは「あともうちょっと、がんばろう」と励まし合ったという。それからわずか3年後、六本松は「V字回復」を果たした。

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