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【北の大地日本ハムへ 清宮伝説】〈1〉「夏は甲子園、冬は花園」ラグビーと二刀流夢見た少年時代

10/27(金) 10:03配信

スポーツ報知

 早実・清宮幸太郎内野手(18)は日本ハムが1位で引き当てた。近未来の球界を背負って立つ怪物スラッガーが育ってきたルーツ、刻んできた伝説を5回にわたって紹介する。

 清宮家は幸福に満ちている。父・克幸氏(ラグビー・トップリーグのヤマハ発動機監督)に、母・幸世さん(元慶大ゴルフ部主将)、弟・福太郎(早実中等部2年・調布シニア)。さらに、父方の祖父・幸一さん、祖母・幸子さん、曽祖父・幸吉さんという「幸福ファミリー」だ。長男・幸太郎は父の背中を見て育ち「元々(初等部から)早実に来たのは、早大でラグビーをしたかったので」と笑う。生まれながらに自然と楕円(だえん)球に触れ合った。

 4歳の頃に、父が監督を務める早大ラグビー部に天然芝のグラウンドが完成。ラグビースクール「ワセダクラブ」に通い始めた。当時の愛読書は「ラグビー選手名鑑」。漢字は「大学名」で覚えたという。

 白球に目覚めたのは、早実初等部1年だった06年夏。早実と駒大苫小牧の決勝再試合を、甲子園のアルプス席で観戦した。「野球を始めたきっかけは、斎藤さんの甲子園です」。佑ちゃんの熱投に興奮を覚え、「野球をやりたい」と両親に申し出て、小学3年で軟式のオール麻布に入団した。

 幼少時からたんぱく質を多く取り、小学校入学時で138センチ。当時から頭ひとつ抜け、机のサイズは1人だけ特大だった。高学年になるとプロテインを摂取。都内の自宅地下に設けられた打撃練習場で打ち込んだ。陸上、水泳、テニス、スキー、ゴルフも経験。わんぱく相撲では港区の大会で横綱に君臨していたが、少年は「夏は甲子園、冬は花園に行くんだ」と宣言。高校では野球とラグビーの二刀流に挑むつもりだった。

 ただ、バットを振ると、素質は飛び抜けていた。小学4年で東京北砂リトルに所属。本人の意思で野球に専念し、通算132発を放った。当初はラグビーをさせたかった父も、「素材というかDNAを見て、だいたい分かる。(幸太郎は瞬発力を生む)速筋が非常に強くて、逆に(持久力につながる)遅筋がない。そういう人が上にいけるスポーツがある。野球は典型的」と息子の思いを尊重した。

 恵まれた体格、才能と家族の支え。幸福に恵まれた清宮は「ラグビーをやりたい気持ちは、やまやま。でも、野球の方が競技人口が多い。切磋琢磨(せっさたくま)できる」という。少年時代から、その目は世界を見据えていた。(山崎 智)

最終更新:11/1(水) 18:50
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