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平尾先生に届け 40人で「瀬戸の花嫁」…葬儀・告別式2200人参列

10/31(火) 7:04配信

スポーツ報知

 7月21日に肺気腫のため死去した歌手で作曲家の平尾昌晃さん(享年79)の葬儀・告別式が30日、東京・青山葬儀所で営まれ、音楽関係者ら2200人が参列した。

【写真】弔辞を読んだ原辰徳氏

 平尾さんが書き下ろしたヒット曲に彩られての“歌唱葬”。布施明(69)、五木ひろし(69)はデュオで「霧の摩周湖」「よこはま・たそがれ」を歌唱。小柳ルミ子(65)は歌手仲間約40人と声を合わせ「瀬戸の花嫁」を涙ながらに献歌した。前巨人監督の原辰徳氏(59)は弔辞をささげた。

 天国の平尾さんに語りかけるように、参列者の歌声が会場を包んだ。ルミ子は「いつも先生から『ルミ子は泣き虫だから』と叱られていたので、今日はしっかり歌おうと思っていたんですけど、ダメでした。『瀬戸の花嫁』のイントロを聴いただけで…」と大泣き。何度も涙をぬぐうルミ子を囲むように、五木、布施、細川たかし(67)、中山秀征(50)ら豪華メンバーで「瀬戸―」を合唱で届けた。

 ルミ子は71年、平尾さんが作曲した「わたしの城下町」でデビュー。当時「一生歌手でいたいからお嫁にはいかない」と語っていた小柳を、平尾さんが「せめて歌で嫁に出してやろう」との“親心”で作った曲が「瀬戸の花嫁」だった。「生みの親であり、育ての親でした。この場で合唱してもらう曲を頂けるなんて歌手冥利に尽きます。これからも大事に歌わせていただきたい」と誓った。

 布施にとっての「霧の―」も、五木にとっての「よこはま―」も、自らの歌手人生を決定づけた1曲だ。それぞれの楽曲を2人で一緒に歌うと、がっちりと握手を交わした。布施は「1番目の弟子にさせていただいたことを感謝しております」。五木も「『よこはま―』という曲がなければ五木ひろしという歌手は存在しなかった」と運命の出会いに感謝した。

 既に7月に家族葬は終えているが、にぎやかなことが大好きだった平尾さんだけに、日を改めての歌唱葬は遺族と発起人の発案で決まった。この日の祭壇も、ステージをイメージしたもの。1958年に平尾さんがリリースした初アルバムのジャケット写真に用いた、プレスリー風の特大の平尾さんパネルに約200本の紙テープをあしらい、ロカビリー3人男と呼ばれ人気を博した「日劇ウエスタンカーニバル」の雰囲気を再現。天国でも作曲ができるようにと、祭壇の横にはギターを供えた。

 戒名は「慈嚴院照音晃道居士(じごんいんしょうおんこうどうこじ)」。音楽と共に生き、後進に時に厳しく、時に優しく指導し道を照らした平尾さんの功績を名前に込めた。2200人の列は、青山葬儀所の門の外まで遠く延びた。誰もが胸の中で、平尾さんのメロディーを響かせていた。

最終更新:10/31(火) 9:43
スポーツ報知