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朝鮮通信使、世界記憶遺産に 日韓「誠信交隣」貫く 意見の相違 乗り越え

10/31(火) 10:06配信

長崎新聞

 日本と韓国の民間団体や自治体が共同申請していた「朝鮮通信使に関する記録」が「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録される見通しになった。約4年にわたる準備の最中には、申請する資料をめぐり日韓の意見が対立することもあった。道しるべになったのは、先人たちが実践した「誠信交隣(せいしんこうりん)」の理念だ。関係者は相手の立場を尊重して意見の相違を乗り越えた。

 日韓が共同申請した資料は333点。だが、朝鮮通信使縁地連絡協議会(縁地連)をはじめ、日本側が登録を望んでいた、ある資料が含まれていない。対馬藩初代藩主、宗義智(そうよしとし)(1568~1615年)の肖像画だ。

 朝鮮と友好関係を築いていた義智は、豊臣秀吉の朝鮮出兵命令に心ならずも従った。秀吉が死ぬと、徳川家康の意向を受けて朝鮮との講和交渉に尽力した。国書を偽造・改ざんするなど大変な苦労をして交渉をまとめ上げ、朝鮮通信使の来日を実現。通信使が往来した200余年にわたる日朝友好の礎を築いた。

 縁地連理事長の松原一征(かずゆき)さん(72)は「平和友好を取り戻そうとした義智公の努力は評価して余りある」と話す。通信使の縁を取り持った対馬藩ゆかりの資料として、義智肖像画が申請リストに入ることが重要と考えていた。

 だが、韓国側にとって秀吉の朝鮮出兵は許されない侵略行為。出兵に加わった義智の肖像画がリストに入れば、反対世論に火が付く恐れがあった。韓国側学術委員会の姜南周(カンナムジュ)委員長(78)は「義智肖像画を入れるようなら共同申請は難しくなる」と強く懸念した。

 意見の相違を打開したのは、日朝友好に尽力した対馬藩の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)(1668~1755年)の精神だった。芳洲は朝鮮との外交で「誠信交隣」を掲げ、「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」を実践した。

 芳洲を尊敬する松原さんは「相手を理解することが大事だ。自分たちの物差しだけで物事を考えてはいけない」と韓国側の立場を尊重し、義智肖像画をリストから外すことを決断した。日本側学術委員会の仲尾宏委員長(81)は「共同申請を実現するための大局的な判断だった」と振り返る。

 隣同士でありながら、歴史認識をめぐり溝がなかなか埋まらない日韓両国。松原さんには「日韓の閉塞(へいそく)感を打ち破るのは、両国平和の象徴である朝鮮通信使しかない」との信念がある。韓国側申請者の釜山文化財団の代表理事を務める柳鐘穆(ユジョンモク)さん(69)も「朝鮮通信使は日韓共同の歴史。両国の平和を祈って交流を重ねることが大切だ」と同じ思いを口にする。先人の思いを受け継ぎ、日韓がつむいだ友好の歴史が「世界の記憶」になる。

長崎新聞社

最終更新:10/31(火) 10:06
長崎新聞