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日馬富士と飲んで意識なくした経験2度の記者が振り返る…若い頃のバカ騒ぎを愉快な思い出にできないのは残念

11/15(水) 14:39配信

スポーツ報知

 もう10年以上も前だが、相撲担当時代に日馬富士と飲み、意識がなくなった経験が2度ある。彼はまだ20代前半の平幕で、シコ名はまだ安馬だった。小柄ながら負けん気の強い相撲っぷりから当時全盛期だった横綱・朝青龍の2世と呼ばれ始めていた。

 1回目は、2006年の初場所後、東京・浅草橋のモンゴル料理店でのモンゴル力士中心の飲み会。会社に戻って夜勤をする予定だったので「1杯だけ」のつもりだったが、少し考えてみれば彼の隣に座って1杯だけで終わるはずはなかった。飲んでいたのは家畜の乳から作るモンゴルウォッカの「アルヒ」。40度以上あるが、ロックであおる。グラスを空ければ即座に継ぎ足され、3杯目ぐらいで限界が来た。たまらずに注がれたグラスをこっそり股間の下に持って行き、床下に流す小細工を試みたが「あっ何してるの」と見つかってしまった。その後は記憶がない。目が覚めた時には編集局の椅子に座っていた。鼻をつく吐しゃ物の臭い。あきれ果てたデスクの顔を見て、やっと正気を取り戻した。

 2回目は同年の名古屋場所直前、繁華街・栄にあるカラオケ居酒屋だった。この時は彼の兄貴分の朝青龍もいて、大盛り上がり。香りを楽しむはずの高級芋焼酎「森伊蔵」をグラスに注いでは梅干しをぶち込み、歌っては飲みまくった.私はいつの間にか衣服を身につけていない状態になっていたが、その後、記憶はなくなってしまった。

 確かに昔から酒癖は良かったとは言えないが、羽目を外して無理やり飲まされても、彼を不快に感じることはなかった。もともとサービス精神が旺盛な彼なりのおもてなしだったと思う。一方でこの頃から目下の若い力士には手を出してしまうという話は何度か耳にした。

 しかし、根が悪い男ではないので、年を重ねて、力士としての地位が上がれば、良い方向へと向かうものと思っていた。酒の席でバカ騒ぎしたのも、10年も経てば若い頃の思い出として語れるようになっていても良いはずだった。だが、角界の最高位に立った彼は、そんな期待とは真逆の方向へ向かってしまった。

 力士が暴れていいのは、土俵の上だけだ。土俵から一歩降りて暴れたならば、それは紛れもない事件になる。そんな教訓を挙げれば枚挙にいとまがない。若い頃のバカ騒ぎを愉快な思い出として振り返れなくなってしまったのが残念だ。(記者コラム 文化社会部・甲斐毅彦)

最終更新:11/18(土) 3:30
スポーツ報知