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Fリーグの最前線で戦い続ける石川直宏の“同級生”。浦安・中島孝が見せる生き様

2017/12/1(金) 21:00配信

AbemaTIMES

 今年8月2日、JリーグのFC東京で16シーズンに渡ってプレーしてきた石川直宏は、今シーズン限りでの引退を発表した。今週末のリーグ戦を最後に、20年に及んだプロ生活に幕を降ろす。

 横浜F・マリノスユースで頭角を現し、年代別日本代表にも選ばれてきた石川は、横浜FMでデビューした後、2002年にFC東京に移籍してからはずっと“青と赤”のユニフォームに袖を通してきた。タイトル獲得もJ2降格もこのクラブで経験し、A代表でもプレーした。でも石川は、最後までピッチで戦い続けることができなかった。彼はずっと、ケガとも戦い続けてきたのだ。

 何度も戦列を離れ、その度に復活を遂げて輝きを放ったが、2015年に左ひざを負傷すると、その後2年間は1度もJ1のピッチに戻って来られなかった。だが、出番はなくてもいつも仲間と一緒に戦い、勝利を目指してきた。クラブ一丸となって戦うために、時に熱く、ファン、サポーターに対して思いを訴え掛けることもあった。それは紛れもなく“ミスター・トウキョウ”の姿だった。

 彼に残された出場のチャンスは、2日(土)のJ1最終節ガンバ大阪戦か、3日(日)のJ3最終節のセレッソ大阪U-23戦のみ。石川は最後、どんな姿を見せるのだろうか――。

 そして、そんな石川の選手としての最後を前に思うのは、引退する選手もいれば、同じ志を持ってまだピッチで戦い続ける選手がいる、ということだ。実は、石川とはジュニア年代に横浜FMの育成組織で一緒にプレーし、同じように夢を追いながらボールを追い掛けてきた人物がいる。

 バルドラール浦安の中島孝。そう、サッカーではなく、フットサルのトップ選手だ。

 石川と同じ神奈川県出身の中島は、横浜FMジュニアユース、横浜フリューゲルスユース、横浜FMユースを経て、明治大学サッカー部へと進んだ。石川とは、ユース時代にもチームメートだった。

 大学を卒業後、企業への就職を選んだ中島はフットサルと出会い、競技フットサルの道へと進んだ。そして関東の強豪・プレデター(現バルドラール浦安)でフットサルのノウハウを学び、2007年のFリーグ開幕のピッチに立ち、それから10年間、トップの舞台で戦い続けてきた。

 中島の卓越したボールスキルを称賛する意味で、こんな言葉をよく耳にする。「中島は、Fリーグの中でもっともJリーグに近い選手」。でもそれは、彼にとっては褒め言葉ではないだろう。

 フットサルは最近まで、「Jリーグに行けなかった選手がやるもの」という認識が、確かにあった。でもフットサルは、フットボールという括りでは同じでも、それこそサッカーとバスケくらい感覚が異なる「別の競技」なのだ。だから中島は、ひとりのフットサル選手として戦い続けている。

 石川は、11月に行った自身の引退会見で、こんなことを話していた。

「ケガなどで自分のストロングポイントを出せない中でも、ファン、サポーター、後押ししてくれる家族の応援は本当にありがたかった。そういう方々に期待してもらえるような生き様を見せられる選手になる。それが選手として一番、大切にしてきたこと」(一部を意訳)

 不器用だからこそ、どんな時でも逃げずに立ち向かう姿勢を示さないといけないと、石川は言う。そんな生き様は、中島ともリンクするものだ。リーグ屈指のテクニシャンでありながら、中島はいつもガムシャラにプレーし、どんな状況でも諦めずに走ってきた。それこそ、不器用なまでに。だから10年間で275試合もの試合を重ねてこられた。これは、リーグ全体でもトップ10に入る数字だ。

 石川がユニフォームを脱ぐ今週末、中島が戦うバルドラール浦安は、リーグ終盤戦の2連戦に臨む。フットサルに生きる中島は、“同級生”の花道を飾るような生き様を、ピッチで見せるはずだ。
文・本田好伸(futsalEDGE)

最終更新:2017/12/1(金) 21:00
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