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ヘッジファンド時代の幕開け イングランド銀行を打ち負かした男 G・ソロス

12/2(土) 14:01配信 有料

THE PAGE

ヘッジファンド時代の幕開け イングランド銀行を打ち負かした男 G・ソロス

“ヘッジファンドの帝王”と呼ばれる、ジョージ・ソロス氏(写真提供:ロイター/アフロ)

(この記事は、2016年08月16日に月額有料サービスで配信した記事の再掲載です)
バブルとクラッシュ~その時、投資家はどう動いたのか~

 6月に行われた欧州連合(EU)離脱の是非を問う英国の国民投票で離脱派が勝利し、通貨ポンドが急落したことは記憶に新しいと思います。しかし、かつての世界の基軸通貨であった英ポンドは、今回に限らず波乱の歴史に彩られているのです。

 その一つに1992年の欧州為替相場メカニズム(ERM)離脱を巡るイングランド銀行と投資家、ジョージ・ソロス率いる投機筋の英ポンド売買の攻防戦があります。結果的にはソロスがイングランド銀行を打ち負かし、英国がERM離脱、その後導入された欧州統一通貨・ユーロへも英ポンドが不参加という伏線になりました。

 このソロスの歴史的ディールの軌跡と数々の成功の要因をミリタス・フィナンシャル・コンサルティングの田渕直也さんが解説します。


  波乱の歴史に彩られた英ポンド

 1992年当時、英国は欧州統一通貨ユーロ導入の前段階ともいわれるERMという制度に参加をしていた。ユーロの前身であるECU(エキュ)という仮想通貨に為替相場を連動させる試みである。ECUは欧州各国の通貨の加重平均で計算される通貨バスケットであり、比重が最も大きいのが欧州最強の通貨とされるドイツマルクであった。したがって、ERMはマルクを中心とした固定相場制度という風に理解してもらえばよい。

 ところが、当時のドイツは1990年の東西ドイツ統一直後にあたり、統一復興景気の中、インフレを警戒して政策金利が継続的に引き上げられていた。それらはマルクが買われる要因となる。その一方で、英国は貿易収支が赤字で推移し、国内景気も悪化の一途をたどっていた。こちらはポンド売り要因のオンパレードである。したがって、変動相場であればマルクは高く、ポンドは安くなるのが自然なのだが、ERMのもとでは為替相場は固定化されるので、ポンドの対マルク相場は自然に決まるレートよりかなり高い水準になっていたと考えられるのである。

 このよう環境下では、市場ではマルク買い・ポンド売りの需要が高まる。これに対して、固定相場を維持するためには、英国の中央銀行であるイングランド銀行が

  ・ポンド買いの為替介入をする

  ・ポンドの金利を引き上げる
  (ポンドを借りて売るという投機を抑えるため、および高金利のポンドに対する買い需要を促すため)

 といった対策をとらなければならない。しかしそれは、現状の為替相場を維持していたら輸出は伸びないし、景気が悪化する中で金利を引き上げれば経済に一層の打撃になるという矛盾を抱えるものであった。 本文:3,328文字

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最終更新:12/6(水) 5:51
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